清漣亭(せいれんてい)は、等持院の方丈の北裏の丘の上にある茶室
8代将軍 足利義政の好み(設計)ともいわれている
等持院の方丈の北裏、書院の東の林泉の西北の丘の上にある
「都林泉名勝図会(1799年(皇紀2459)寛政11年)」の等持院絵図には、現在の場所に清漣亭が描かれている
間取りは、長四畳で現在と同じ場所に床が造られているが、
現在あるような水屋やもう一つの四畳半茶室、床前の上段の間はなかった
見晴らしのための茶屋が改築されて草庵風な茶室の手法を取り入れ、現在の清漣亭になったといわれる
四畳の間取りは、「南方録」の「長四畳古様」に伝えられているもので、
床前に上段をつくり、上段から見えないところで点前をする貴人を重視した貴人席になっている
司馬温公形の蹲踞(つくばい)がある
茅葺・寄棟造
一畳の上段付き二畳台目向切り
一間と二間の長四畳といわれる間取り
北東の一畳分に上段があり、その西に床があり、その裏側が台目畳の点前座となっている
水屋を間にして、西側に切妻造のもう一つの四畳半茶室を持つ
上段の北側には、アーチ状の丸太を上方に入れた大きな中窓が造られており、二枚障子を建てている
天井は、上段の上が網代天井(あじろてんじょう)、上段の前は竿縁平天井、
点前座と床の境に丸太を通し、それより西側が落天井になっている
床は踏、込床
床柱は赤松の曲柱
点前座の出隅の柱との間は、横竹を入れて下方を吹き抜き、袖壁に下地窓がある