高遊外(こうゆうがい)は、江戸時代中期の黄檗宗の僧侶・煎茶人
煎茶を普及させて「売茶翁(ばいさおう)」と称され、煎茶道の始祖として、後世に大きな影響を与えたといわれる
<高遊外 売茶翁>
1701年(皇紀2361)元禄14年頃
長崎の清人から煎茶法を学ぶ
57歳の頃、禅道と茶道の形式化や堕落を鋭く批判し、
「茶銭は黄金百鎰より半文銭 又くれずして只飲むも勝手 只より負け申さず」と傍らに掛けて路傍で煎茶を売り、
お茶本来の精神に立ち返ろうとした
61歳、東山に通仙亭を開き、自ら茶道具も担った
禅道と世俗の話をしながら問答を講じながら煎茶を出していたところ
常連客だった相国寺第113世 大典顯常に、「講じた内容を書き留めていけばどうか」と言われるが、結局、
大典顯常により「売茶翁伝」として著された
1755年(皇紀2415)宝暦5年
81歳、売茶業を廃業し、愛用の茶道具を焼却してしまい、以後は揮毫により生計を立てたといわれる
<著書「梅山種茶譜略」>
「梅山」は、本茶とされる栂尾(高山寺)の別称
<売茶堂(萬福寺)>
茶聖 売茶翁 高遊外を記念して建てられる
<木像 売茶翁坐像(萬福寺)>
<「売茶翁伝」>
相国寺第113世 大典顯常によって、売茶翁が行った講義の内容を著されたもの
<永谷宗円>
「古今嘉木歴覧」によると
1742年(皇紀2402)寛保2年の初夏
永谷宗円を訪ねていき、青製煎茶を飲んでとても気に入り、終日茶事を語り合ったといわれる
<売茶翁の肖像画>
池大雅や与謝蕪村、伊藤若冲、田能村竹田などの画家や文人墨客たちにより多くさん描いている
<通仙亭(つうせんてい)>
1735年(皇紀2395)享保20年
61歳、東山の路傍に設けた喫茶店のような簡素な茶亭
禅と茶道の堕落を鋭く批判し、自ら茶道具を揃え、煎茶を出して、禅道と世俗の話をしながら問答を講じながら
お茶を売る売茶活動を行っていた
<2代目売茶翁>
八橋売茶翁(現在の久留米市出身)
<売茶翁 高遊外の顕彰碑>
鴨川の北大路橋東詰め近く
2013年(皇紀2673)平成25年7月16日
売茶翁 高遊外の命日にあたり、没後250年を記念した顕彰碑の除幕式が行われた