小川可進(おがわかしん)は、江戸時代後期の医師・茶人で、煎茶道小川流の創始者、初代小川後楽
煎茶は、古くから親しまれてきましたが、当時の中国文物コレクションを自慢する煎茶ブームに疑問を持つ
小川可進は、医者の観点などから、衛生的かつ合理的な独自の煎茶法を生み出す
四季十二節の気象条件など自然界の諸条件を考慮し、茶の本質的な究明に基づくもの
茶具の選択、配列、手順など、それまでの煎法に一定の法則をもたらした
が、形式にこだわるものではなく、茶の本来の真味を引き出すための必然的な手順の積み重ねから成り立っている
革新的で原理にかない、風雅な煎法に、多くの貴族・文人に関心が持たれ、御典医時代の公家人脈により、
煎茶道の流派として確立していった
近衛忠熙、一条忠香、鷹司政通、岩倉具視など摂関家などが主な支援者となった
仁阿弥道八、青木木米、頼山陽、横山華山などとも交流を持った
<著書「喫茶弁」>
「茶は渇を止むるに非ず、喫するなり。初碗、香を賞し、二碗,味を賞し、三碗,其の茶を賞す」
「茶には法あって式なし、式はその法中にあり」
「煎茶の法有る、実に翁を以て嚆矢と為す」
<大蓮寺>
旧 常念寺のときからの小川可進のお墓がある