仙叟宗室(せんそうそうしつ)は、千家4代目で、裏千家の初代家元となった茶人
父親 千宗旦の四男で、屋敷の北裏の茶室「今日庵」を譲り受け、裏千家の由来となる
加賀前田家の前田利常に仕官し、裏千家の基礎を築く
<千宗旦の子>
長男(先妻の子):閑翁宗拙:勘当され千家を離れた
次男(先妻の子):一翁宗守:武者小路千家の始祖
三男(後妻の子):江岑宗左:家督を継ぐ、表千家の始祖
四男(後妻の子):仙叟宗室:裏千家の始祖
<裏千家>
宗室の死後、すぐに5代 常叟宗室が加賀前田家に仕官したが、ほどなく辞して伊予松山藩久松家に仕官する
以降、幕末まで、久松家に仕官しながら前田家とも交流を続ける
8代 一燈宗室のときには、徳島藩蜂須賀家にも出向いている
<今日庵>
裏千家の代表的な茶室
無色軒の腰掛待合の屋根は、加賀や北陸地方の民家の造りを模したものといわれる
<茶道具>
仕官した加賀 前田利常が、風雅を好む大名で名品を好み、多くの茶器や絵画を収集したことで、名品に触れる機会が多かった
前田利常は、小堀遠州、本阿弥光悦らを加賀に招いて、茶道具の研究を行ったといわれる
将軍を招いて茶会が催され、宗室も必ずそばに控えていたといわれる
<大樋焼>
石川県金沢市にある楽焼の脇窯
楽家の高弟だった長左衛門を加賀に連れて行き、楽家伝来の独特の飴釉を使った作陶を行った
初代 大樋長左衛門は、宗室が加賀を去った後も加賀に留まり、この地に茶の湯を普及していったといわれる
<鋳物師 宮崎寒雉の釜>
秘伝の技法を持ち、独特の肌と風合いをしており、洗練さの中に野趣を感じさせ、宗室が好んだ
代表的な作品に「焼飯釜」がある