高木治良兵衛(たかぎじろべえ)は、三条通釜座通東入の釜座町に工房をもつ釜師
高木治良兵衛(たかぎじろべえ)は、高木家の当主が代々襲名している名前
三条釜座の大西清右衛門の東に工房がある
<初代 高木治良兵衛>
1828年(皇紀2488)文政11年-1885年(皇紀2545)明治18年
兄弟で、大西清右衛門 大西家十世 浄雪に師事し、兄は、大西家十二世 浄徳を継ぎ、十三世 浄長の後見人として大西家に残る
1855年(皇紀2515)安政2年
大西家十二世 浄徳の弟が、大西家より独立し三条釜坐にて創業
初代 高木治良兵衛を名乗る
<2代 高木治良兵衛>
1861年(皇紀2521)文久元年-1924年(皇紀2584)大正13年
富岡鉄斎と親交し「鉄軒」の号を受ける
富岡鉄斎や歌人 大田垣蓮月の画賛入の釜を多数制作する
1912年(皇紀2572)大正元年
改元にともない、建仁寺 黙雷和尚の「無冷處」文字入の改元記念釜を製作する
<3代 高木治良兵衛>
1881年(皇紀2541)明治14年-1957年(皇紀2617)昭和32年
各流派の好みの台子風炉釜・皆具等を製作する
1943年(皇紀2603)昭和18年
八幡製鉄所の大炉の新設記念に、初湯にて風炉・五徳・鉄瓶を製作する
隠居後は「一道」と名乗る
<4代 高木治良兵衛>
1911年(皇紀2571)明治44年-1996年(皇紀2656)平成8年
これまでの打肌釜肌にくわえ、挽肌釜の上に水墨画のタッチで地紋を表現する新しい京釜を製作する
1985年(皇紀2645)昭和60年
京都府知事より老舗表彰を受ける
<5代 高木治良兵衛>
1941年(皇紀2601)昭和16年-1983年(皇紀2643)昭和58年
4代の長男
鋳道学を研究し新しい鋳造方法に努める
42歳で急逝する
<6代 高木治良兵衛>
1943年(皇紀2603)昭和18年-
5代の義弟
鎚起師三世 美芳を継承・制作活動を行いながら、4代に師事し釜師の修行を重ね、5代の長男の後見人となる
各地で個展・二人展を多数開催している
2005年(皇紀2665)平成17年
国立京都迎賓館に阿弥陀堂釜・肩付釜を納める
現在:京都金属工芸協同組合理事・京都金属工芸研究会監事
<三条釜座(さんじょうかまんざ)>
三条通釜座通付近
平安時代
平安遷都とともに奈良から鋳物師が京に移り住み座を結成し、鋳物の町として栄えた
桃山時代
茶道の隆盛とともに、釜座からも数多くの名工を生み出した
現在は、大西清右衛門と高木治良兵衛の2家の釜師が残っている