武野紹鴎(たけのじょうおう)は、戦国時代の茶人、堺の豪商
村田珠光のわび茶を千利休らに伝えた
村田珠光門下の藤田宗理や十四屋宗陳、十四屋宗伍などに茶の湯を学んだという
三条西実隆の「詠歌大概(藤原定家)」の序の講義をきいて茶の湯の極意を悟ったといわれる
和歌の心を茶の心に生かしたといわれる
白木の釣瓶を水指に見立てたり、竹を削って茶杓を作ったり、青竹を切って蓋置にするなど、
清浄な白木や竹の美を茶の湯に加えることを創案した
堺に帰って、津田宗及(つだそうきゅう)、千利休、松永久秀らに、村田珠光のわび茶を伝える
弟子の今井宗久を娘婿にして財産・茶器を譲った
<草庵「大黒庵」>
室町通四条通上ルに創建した草庵で、ここで茶事に専念した
二畳・三畳の小間の茶室
<草庵茶室>
武野紹鴎が創始した、四畳半の質素な草庵風の茶室
千利休が、それを受け継ぎ徹底し、草庵茶室を完成させる
柱は、丸太や丸みを残した面皮付きの柱が利用される
土壁・下地窓(したじまど)・天井の竹や蒲など、質素な自然素材で造られる
茶人の好みにより自由で創造的な趣向が凝らされる
<大名物 紹鴎茄子(じょうおうなす)>
中国から請来されたとされる漢作唐物の茄子(なす)(丸形の口造りが細まった茶入)
武野紹鴎が所持していたところからこの名が付けられた
武野紹鴎は、その他、名物といわれる茶道具を60種ほど所有していた
<黄梅院>
1562年(皇紀2222)永禄5年
春林宗俶禅師(しゅんりんそうしゅくぜんし)が、武野紹鴎、今井宗久らの帰依により庵居黄梅庵を創立したのが由来
茶室 昨夢軒(さくむけん)は、4畳半で、武野紹鴎作
<菊水鉾>
菊水鉾町内の武野紹鴎の大黒庵の金剛能楽堂にあった菊水井にちなんで名付けられた