三千家(さんせんけ)は、茶道の流派のうち、表千家・裏千家・武者小路千家を総して称される
三千家が京都市上京区にあり「上流(かみりゅう)」と称され、
下京区にある藪内家は、「下流(しもりゅう)」と称される
江戸時代初期
千利休の孫 千宗旦(せんのそうたん)が、千利休のわび茶の道を推進しながら千家を復興させ、
勘当した長男 閑翁宗拙を除く、3人の息子それぞれに宗家を興させ、
経済的基盤を固めるために、それぞれ大名に出仕させ、三千家を確立させる
三千家は、互いに養子を出し、また共同で制度の整備にあたるなどしてきた
表千家七代 如心斎が、「千家を名乗るのは表千家・裏千家・武者小路千家のみとし、宗家以外には名乗らせない」と定め、
他の二家もこれを了承したため、「千家」は、三家に限定されることとなる
<武者小路千家>
次男の一翁宗守(いちおうそうしゅ)が興し、
讃岐高松松平家に出仕する
邸内茶室:官休庵
<表千家>
三男の江岑宗左が興し、
紀州徳川家に出仕する
邸内茶室:不審菴
<裏千家>
四男の仙叟宗室が興す
加賀前田家に出仕する
邸内茶室:今日庵