京都の仏師(ぶっし)

 仏師(ぶっし)とは、仏像などを制作する人

【仏師の歴史・経緯】


【京都ゆかりの主な仏師】

 <仏師の流れ>
 康尚−子 定朝−子 覚助−子 頼助 〜 慶派
            −覚助 弟子 院助 〜 院派
       −定朝弟子 長勢 〜 円派

 <康尚
 平安時代中期の仏師職の祖


 <定朝
 平安時代後期に活躍
 寄木造技法、和様彫刻様式の大成者
 最初の仏師 康尚の子
 「仏の本様」と称される、彫りが浅く平行して流れる衣文、瞑想的な表情など平明で優雅な定朝様の作風
 木造阿弥陀如来坐像(国宝)(平等院
 閻魔大王座像(引接寺


 <覚助
 定朝の子とも弟子ともいわれている
 七条仏所の祖とされる


 <院覚
 平安時代後期に活躍した院派の代表的仏師
 阿弥陀如来像(重要文化財)(法金剛院
 定朝様式の優美な装飾が加えられた木造漆箔、像高2.2mの像で「定朝の三阿弥陀(平等院法界寺)」


 <長勢
 平安時代末期に活躍
 三条仏所の祖
 木造十二神将立像(国宝)(広隆寺霊宝殿)


 <明円
 平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した円派の一人
 唯一、現存するのが、大覚寺の本尊木造 五大明王像(重要文化財)


 <円勢と長円>
 平安時代末期に活躍
 木造薬師如来坐像(国宝)(仁和寺霊明殿)


 <運慶(うんけい)>
 鎌倉時代に活躍
 奈良 興福寺を拠点に活動していた「慶派」の仏師集団の一人
 奈良仏師 康慶の子
 地蔵菩薩坐像(重要文化財)(六波羅蜜寺
 千手観音菩薩像、元佶像(圓光寺


 <定覚
 鎌倉時代に活動した慶派仏師
 東大寺南大門仁王像の造立における4人の大仏師(康慶、運慶、快慶)の一人


 <快慶
 鎌倉時代に活躍した「慶派」の仏師
 仏師 康慶の弟子
 「安阿弥様(あんなみよう)」と称される、細身の体型で理知的な表情、繊細で絵画的な衣文などを特徴とする作風
 弥勒菩薩坐像(重要文化財)(醍醐寺三宝院
 金剛薩った坐像(重要文化財)(随心院


 <湛慶
 鎌倉時代七条仏所を統括して活躍した「慶派」の仏師
 運慶の長男
 木造 千手観音菩薩坐像(国宝)(三十三間堂 82歳の時の作
 阿弥陀如来化野念仏寺


 <康円
 鎌倉時代中期の慶派の仏師
 湛慶もとで三十三間堂の再興本尊の造仏にあたり、大仏師を継承し、慶派七条仏所)の主宰者として活躍する


 <康勝
 鎌倉時代に活躍
 運慶の四男
 空也上人立像(重要文化財)(六波羅蜜寺


 <行快(ぎょうかい)>
 鎌倉時代に活躍
 快慶の弟子
 釈迦如来坐像大報恩寺千本釈迦堂
 千手観音菩薩の一尊(三十三間堂


 <定慶(じょうけい)>
 鎌倉時代に活躍
 運慶の次男 康運ともいわれる
 六観音菩薩(重要文化財)(大報恩寺千本釈迦堂
 木造 聖観音菩薩立像(重要文化財)(鞍馬寺


 <院吉>
 鎌倉時代後期に活躍した院派の仏師
 十一面観音菩薩坐像(重要文化財)(法金剛院


 <康正
 桃山時代に活躍した東寺大仏師
 康秀の子
 薬師如来坐像、日光菩薩、月光菩薩、十二神将像(すべて重要文化財)(東寺金堂)

【その他】

 <七条仏所
 平安時代中期から桃山時代まで、現在の七条通高倉付近にあった仏師の工房跡
 仏師の始祖と称される定朝の子とされる覚助を祖とする


【京都検定 第2回3級】

【京都検定 第3回3級】

【京都検定 第2回1級】

【京都検定 第3回1級】


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