長勢(ちょうせい)は、平安時代後期の仏師
定朝の直弟子で、定朝が作り上げた和様化を発展させた
仏師で初めて最高位の法印に叙せられた
円勢の父親あるいは師といわれ、円派の祖とされる
広隆寺に、現存する長勢唯一の遺作として極めて重要な作品が残る
1064年(皇紀1724)康平7年
藤原資長の発願により、広隆寺の本尊 霊験薬師の脇侍として、長勢がその一門を率いて造仏したもの
定朝により平等院の阿弥陀如来像で完成された彫刻和様化の造型が、長勢によっていっそう雅びに発展し、
唐様を脱却した洗練された和様化が実現されている
<広隆寺 木造寄木造彩色 十二神将立像(国宝)>
像高112〜120cm
奈良時代や鎌倉時代のような忿怒の面相や形態はない
均衡のとれた穏やかさがあり、甲冑や衣文など細部までこまかく、気品と優雅を持っている
<広隆寺 木造漆箔彩色 日光菩薩立像(重要文化財)>
像高175.0cm
平安時代前期の特徴である威圧するような形態や量感はない
肩から腰部、脚部へと流れるなだらかな優美な線で構成されている
面相も、慈悲にあふれた優しい表情であり、 藤原貴族が好んだ典雅な気品が表現されている
肉身部や裳の裏返しの部分に金箔が施され、繊細な美しさを出している
<広隆寺 木造漆箔彩色 月光菩薩立像(重要文化財)>
像高174cm
日光菩薩立像と同様な作風
<円派(えんぱ)>
平安時代中期から鎌倉時代の仏師の一派
長勢は、定朝の子 覚助と共に、定朝の直弟子として定朝没後の中心的な人物となる
円勢の父親あるいは師といわれ、円派の祖とされる
長円・賢円・明円と「円」の字を仏師号にもつ仏師が多いため名付けられる
<京都三条仏所>
平安時代中期、京都三条にあった仏師の工房
長勢を祖とする円派の仏師が活躍した
鎌倉時代には七条仏所におされて衰退した