院覚(いんかく)は、平安時代末期の院派の仏師
院助の実子または弟子といわれる
院派 七条大宮仏所を継ぎ、当時の宮廷貴族の造仏に携わった
作風は、定朝様を踏襲したもの
<法金剛院 丈六 阿弥陀如来坐像>
寄木造、漆箔、像高227.6cm
院覚の作で現存する唯一なもの
宝相華の文様を刻んだ七重の蓮華座に定印を結んで安座している
面相、胸・腹・膝部と穏やかな線で品よくまとめられ、定朝様式を極めて厳格に伝承している
<待賢門院璋子の法服地蔵像>
待賢門院の裸形の像に法服を着せたもの
鎌倉時代にみられる裸形像の先駆をなすもの
宋美術の影響を早くに反映したもの
<法金剛院>
1129年(皇紀1789)大治4年9月頃から、鳥羽天皇の中宮待賢門院の発願により造寺に取りかかる
その造仏を行った
<平等院本堂の仏像>
院覚により、定朝の作と鑑定される
<定朝仏の測定>
弟 院朝とともに、西院邦恒堂の定朝仏の法量を細かく測定し、造仏の模範とした