定朝(じょうちょう)は、平安時代後期に活躍した仏師
寄木造技法を完成し、優美で均整ある和洋彫刻を生み出し「定朝様」と称された
朝廷や藤原家の造仏を手がけ、法成寺の諸堂の造仏などに尽力し、仏師として初めて法橋・法眼の位を得た
平等院の鳳凰堂に安置されている阿弥陀如来像(国宝)は唯一の現存作品とされる
<木造 丈六阿弥陀如来坐像(国宝)>
平等院鳳凰堂の本尊
<雲中供養菩薩像(うんちゅうくようぼさつぞう)>
平等院鳳凰堂の長押(なげし)に懸けられている52躯
<鳳凰>
平等院鳳凰堂の屋根の2体
<阿弥陀如来像>
法界寺(裏寺町)の本尊
<丈六地蔵菩薩坐像>
仲源寺
<地蔵菩薩立像(重要文化財)>
六波羅蜜寺の元本尊
<地蔵菩薩坐像(重要文化財)>
善願寺
<引接阿弥陀如来>
金光寺の本尊
<阿弥陀如来像>
西岸寺の本尊
<聖観世音菩薩(しょうかんのんぼさつ)>
円通寺の本尊
<定朝様(じょうちょうよう)>
定朝の以前の平安時代前期の彫刻は、中国の影響を強く受けた古代彫刻の余韻を残し、
唐風から抜け出し、和様化への道を模索し試行を重ねていた時代
定朝は、密教系・木彫系・木心乾漆系・檀像系などの多彩な彫刻様式を集大成し、和様の仏像彫刻の一典型を完成した
「尊容満月の如し」と賞讃され、藤原時代を象徴する典雅な様式
彫りが浅く平行して流れる衣文、瞑想的な表情など、平明で優雅な仏像は、「仏の本様」と称された
仏像の周囲の荘厳な飾りなど総合的に定朝様式とされる
<寄木造>
定朝は、一本の木を素材とする一木造から、数本の木を組み合せて造る寄木造の手法を生み出した
寄木造は、多数の仏師が同時に仕事に取りかかり、一度に多くの巨像造りが可能になり、
運搬も簡易になり画期的な造仏法だった
<仏師>
定朝は、大仏師・小仏師などの制度を整備したといわれ、仏師の世襲や流派が次第に定まっていったといわれる
<仏所>
定朝は、寺院に所属し造仏を行ってきた仏師が、独立した仏所を設けて弟子たちを擁し多くの造仏を行うという
システムを造り上げた
定朝の仏所はきわめて大規模であったといわれる
1026年(皇紀1686)万寿3年8月から10月
藤原道長の娘 中宮威子のご出産祈祷のため等身の仏像27躯の造立を、
21人の大仏師と105人の小仏師を率いて行ったといわれる
定朝の息子 覚助が七条仏所を率い、高弟の長勢は三条仏所を開く
<僧綱位(そうごうい)>
定朝は、仏師として初めて僧侶の位であった法橋(ほっきょう)と法眼(ほうげん)という僧綱位(そうごうい)を受けた
仏師の社会的地位や名誉を確立する革新的な役割も果たしたとされる
<お墓>
上品蓮台寺
廬山寺