湛慶(たんけい)は、運慶の長男で、鎌倉時代の慶派の仏師
父親 運慶から慶派の棟梁を引き継ぎ、力動感あふれる写実的な彫刻様式の発展に寄与した
湛慶は、運慶の力動感あふれる存在感と、快慶の絵画的な写実を調和した穏健な様式を作り上げたとされる
高山寺の明恵上人との交流の中で、万物への慈しみという宗教的境地が触発されたといわれる
<木造 千手観音菩薩坐像(国宝)>
三十三間堂本堂の中央須弥壇上に安置されている本尊(中尊)
像高334.8cmの丈六仏
檜材で寄木内刳造、表面は漆箔、目には玉眼がはめ込まれている
背後に雲焔と唐草を透彫りとし、表面に観音菩薩の三十三変化身を配した光背を負っている
頭上の天蓋は、中央に大蓮華文を彫り、回りには飛雲、外縁には吹返しの飾りと、雲形彫刻で埋め尽くされている
台座に墨書銘が残っている
1251年(皇紀1911)建長3年7月から製作し始め、翌年正月に完成
82歳の大仏師 法印 湛慶が、小仏師 法眼 康円・法眼 康清とともに製作された
本尊の左右の千体千手観音菩薩立像の中にも、湛慶の銘をもつものが数体ある
復興事業であったことから、慶派の特有の強さは抑制され、平安時代後期の様式が再現されているといわれる
<木造 善妙神立像・白光神立像2躯(重要文化財)>
高山寺
彩色玉眼
銘記はないが湛慶の作と推定されている
白光神(びゃっこうしん)は、インドの神さんとされ、善妙神・春日明神(春日大神)とともに高山寺の鎮守神として祀られた
ヒマラヤの雪を象徴して、着衣から台座まで真っ白に塗られている
明恵上人が夢で見た姿を湛慶に託して彫らせたといわれる
当初、明恵上人が建立した平岡善妙寺におかれ、善妙寺の焼失後に、高山寺に移されたといわれる
<木造彩色 狛犬3対(重要文化財)>
高山寺
1225年(皇紀1885)元仁2年
<神鹿1対(重要文化財)>
高山寺
1225年(皇紀1885)元仁2年
<木造 仔犬 1躯(重要文化財)>
高山寺
彩色玉眼
1225年(皇紀1885)元仁2年
<丈六釈迦如来像(重要文化財)>
戒光寺の本尊
運慶・湛慶親子の合作
宋風の極彩色の木像寄木造
京都八釈迦の一つ
像高は、約5.4m(一丈八尺)、台座から光背を含めると約10m(三丈三尺)になる
「大きな仏像」という意味で、「丈六さん」と称され、親しまれている
後陽成天皇の皇后の崇敬や、後水尾天皇の守護仏としても深く信仰されていた
「身代りお釈迦様」の故事がある
<仁王像>
鞍馬寺の仁王門
<阿弥陀如来像>
化野念仏寺の本尊
<伝・湛慶坐像(重要文化財)>
六波羅蜜寺に伝・運慶坐像(重要文化財)とともに安置されている
もと境内にあった運慶一族の菩提寺の十輪院の本尊の両脇に安置されていたといわれる
鎌倉時代の作