重森三玲(しげもりみれい)は、約200もの庭園を作庭した昭和を代表する作庭家
庭園史の研究家でもある
東京美術学校で日本画を学び、伝統芸術の研究に没頭して、生け花、茶道を研究する
生け花界の革新を唱えて「新興いけばな宣言」を発表した
彫刻家イサム・ノグチとの交流も持っていた
日本各地、各時代の500以上の名庭の実測を行い、庭園を独学で学んだ
重森三玲の庭の特徴は、力強い石組みとモダンな苔の地割りで構成される枯山水庭園とされる
重森三玲の名前は、フランスの画家ジャン・フランソワ・ミレーにちなんで改名したといわれる
東福寺 方丈庭園 八相庭(1939年(皇紀2599)昭和14年)
東福寺 塔頭 光明院 波心庭(1939年(皇紀2599)昭和14年)
大徳寺 塔頭 瑞峯院 独坐庭(1961年(皇紀2621)昭和36年)
東福寺 塔頭 龍吟庵 庭園(1964年(皇紀2624)昭和39年)
重森三玲邸 庭園(1970年(皇紀2630)昭和45年)
松尾大社 松風苑庭園(1975年(皇紀2635)昭和50年)
「枯山水」
「日本庭園史図鑑」
「日本庭園史大系」
「日本茶道史」
「実測・日本の庭」
など