善阿弥(ぜんあみ)は、室町時代の庭師
室町幕府将軍 足利義政の寵愛を受けて室町殿の築庭などにあたったといわれる
いづれも伝承
<相国寺蔭涼軒>
1458年(皇紀2118)長禄2年
<花の御所泉殿>
1461年(皇紀2121)寛正2年
<高倉御所泉水>
1462年(皇紀2122)寛正3年
<相国寺山内睡隠軒>
1466年(皇紀2126)文正元年
季瓊真蘂(きけいしんずい)は「少岳を築るを見る。善阿の築く所、その遠近峯かん、尤も奇絶たるなり。
これに対するに飽かず。忽然として帰路を忘るなり。」と賞賛したといわれる
<興福寺大乗院>
応仁の乱の最中
<蔭涼軒日録>
相国寺庭園の作庭記録
善阿弥が、「河原者善阿弥」として記載されている
この中にも、足利義政の寵愛を受けて室町殿の築庭にあたった様子も記されている
<室町幕府将軍 足利義政>
足利義政の寵愛を受けて花の御所の築庭にあたる
晩年には、しばしば病に倒れるが、そのたびに足利義政は、高貴な薬を贈り、医者を遣わして面倒をみたといわれる
<山水河原者>
善阿弥などの作庭に携わり、熟練した技術を持ち作業を行った河原者たちのこと