宇治発電所(うじはつでんしょ)は、宇治橋の南、宇治川の右岸にある水力発電所
発電のための水は、大津市南郷で琵琶湖の水を取水して約11kmの水路で発電所まで導いている
現在の関西電力株式会社の、前身となる3社(京都電灯・大阪電気・宇治川電気)の一つ、戦前の日本五大電力会社の一つだった
<宇治発電所>
発電のための水は、瀬田川洗堰のやや上流(大津市南郷)で琵琶湖の水を取水して約11kmの水路で大吉山の裏まで導いている
落差62mの水管で宇治発電所に送水されている
発電型式:水路式
水系・河川名:淀川水系淀川および志津川
最大使用水量:61.22m3毎秒
有効落差:61.95m
水車:横軸フランシス水車×5台 総出力34,000kW
発電機:横軸三相交流同期発電機×5台
年間発電量:約2.0億 kWh(過去10年平均)
最大出力:32,500kW
常時出力:29,000kW
導水路:総延長10,985.4m
主要導水路:幅7.60m x 高さ7.60m、延長9222.4m
上部水槽:縦16.39m x 横40.00m x 高さ5.40m
水圧鉄管:内径2438~1770mm、板厚9~12mm、延長122.945m
入口弁:バイプレーンバルブ(複葉弁)
放水路:総延長203.2m、幅18.90m x 高さ4.24m
取水位標高:84.31m
放水位標高:15.94m
<導水路工事>
最初に予定断面の頂部に、高さ2m、幅2.5mほどの先進導坑(小さなトンネル)を掘って、
状況を確認しながら丸形・中背(ちゅうぜ)・大背(おおぜ)・土平(どびら)と順次、切り広げていく工法
・頂部に導坑を先進させる
・先進導坑を、左右に切り広げ丸形を掘削する
・丸形から下に切り下げ、中背を掘削する
・中背の上半を掘削したら支保工を梁で受ける
・さらに下に切り下げ、大背を掘削する
・土平を掘削する
・側壁部の一番下に扶座石を置き、その上に側壁を積み上げ畳築する
<取水口>
瀬田川洗堰(せたがわあらいぜき)(大津市南郷地先)の北、約360m地点
可動堰
旧取水口は、上流約100mほどの、南郷洗堰(なんごうあらいぜき)付近だった
<導水路>
導水路は暗渠となっている
約11km
84%ほどの9.2kmが山岳トンネル
第1号隧道:2,460m、第7号隧道:3,005m
トンネルの断面は、幅・高さとも約6.1mの馬蹄形
<放水路>
<発電所建屋>
<放水路逆調整池>
<宇治川へ>
観流橋をくぐり宇治川へと流れ込む
<工事竣工記念碑>
宇治発電所の諸元と、工事に携わった100名以上の名前が刻まれている
1.水路総長6137間
隧道5070間
暗渠 440間
開渠 627間
1.最長隧道 第1号1357間
第7号1658間
1.使用水量1秒時2000立方尺
1.有効落差204尺
1.機械容量48000馬力
1.送電線路 大阪線22哩
京都線 8哩
1.工事費総額1600万圓
1.工事着手 明治41年12月
1.工事竣功 大正2年6月
大正3年10月 宇治川電気株式会社
<宇治川電気株式会社>
戦前の日本五大電力会社の一つ(宇治川電気・東邦電力・東京電灯・大同電力・日本電力)
現在の関西電力株式会社の、前身となる3社の一つ(宇治川電気・京都電灯・大阪電気)
創建当時
社長:中橋徳五郎(大阪商船)
取締役:土居通夫・岩谷松平・高木文平・浅見又蔵
監査役:田中市兵衛、大倉喜八郎、田中源太郎
<土木学会選奨土木遺産>
宇治発電所
選奨理由
大正時代初期に全長約11kmの導水路とともに建設された、
国内最大規模の発電量を誇る電力飛躍時代の水路式水力発電施設である