岩倉具視(いわくらともみ)は、幕末維新・明治維新時代の公家・政治家
下級公家ながら孝明天皇の侍従となり、公武合体派として政治活動を行うが尊皇攘夷派から非難され蟄居生活を送るが、
復帰後に討幕に転向し、王政復古のクーデターを画策、新政府において首脳陣としての重責を務める
日本人では初めて癌告知を受け、日本政府による最初の国葬者となる
<嵐山>
明治時代
岩倉具視により風致計画をたて、桜の植え付けが行われた
<岩倉具視幽棲旧宅(左京区)(国の史跡)>
岩倉具視に関する資料などが展示されている対岳文庫(登録有形文化財)がある
<常照皇寺>
岩倉具視が、御所紫宸殿の「左近の桜」より株分けした「御車返しの桜」がある
<西芳寺>
湘南亭(重要文化財)に、岩倉具視が匿われていたといわれる
<実相院>
岩倉具視が一時期、ここに住んでいたといわれ、池の前の部屋で密談をした様子などが記された日記が多く残っている
<京都御所>
岩倉具視により、保存計画が策定される
<葵祭>
1883年(皇紀2543)明治16年
明治天皇の旧儀復興の勅命により、岩倉具視が「賀茂祭旧儀再興の事」を提言する
1884年(皇紀2544)明治17年
賀茂祭は官祭(勅祭)となり、5月15日を祭日と定め勅使の行列も復活された