曲直瀬道三(まなせどうさん)(Dousan Manase)

戦国時代から桃山時代の医師

生年:1507年(皇紀2167)永正4年9月18日
没年:1594年(皇紀2254)文禄3年1月4日
享年:88

父親:近江源氏(宇多源氏)佐々木氏庶流の堀部左兵衛親真
母親:多賀氏

本姓:源朝臣(宇多源氏)、後に、橘朝臣
字:一渓(いっけい)
諱:正盛(しょうせい)
号:道三
別号:雖知苦斎(すいちくさい)、盍静翁(こうせいおう)、寧固(ねいこ)、翠竹庵(すいちくあん)、啓迪庵(けいてきあん)など
院号:翠竹院(すいちくいん)、後に、亨徳院(こうとくいん)

官位:追贈 正二位 法印

今大路家の祖
日本医学中興の祖

出身:京都柳原(南区柳原町)
墓所:十念寺

 曲直瀬道三(まなせどうさん)は、戦国時代から桃山時代の医師

 正親町天皇、毛利元就、織田信長など戦国武将から重んじられる

 京都に医学校 啓迪院を創建し、「医聖」と称され、日本医学中興の祖と称される

 江戸幕府からは、曲直瀬家を世襲の侍医典薬とされた

【曲直瀬道三の歴史・経緯】

【曲直瀬道三】

 <医学校 啓迪院(けいてきいん)
 京都に創建する
 数百人の門人に医術を教える
 観念的な治療方法から、道三流医道を完成させ、実証的な臨床医学を開き、四知(神・聖・功・巧)の方を創出する

 田代三喜・永田徳本などと並んで「医聖」と称される
 日本医学中興の祖と称される

 <著書>
 啓迪集・雲陣夜話・薬性能毒・百腹図説・正心集・指南鍼灸集・弁証配剤医灯・黄素妙論・雲陣夜話
 など多数

 <茶の湯>
 茶の湯のたしなみが深かく、宮中や当時の有力者との交流を深めたといわれる

   <名前の由来>
 「曲直瀬」の姓は、蘇東坡の詩にちなみ、医学の流れが次第に曲がりくねって不浄となってきたのを、
往古の直にして清らかな流れに戻そうとする志を示す
 「道三」の名は、師 田代三喜導道から取ったともいわれる
 あるいは、東海・東山・北陸の三道を通り禅の修行をしたことから、その三道にちなむといわれる

【曲直瀬道三ゆかりの地】

 <十念寺
 初代曲直瀬道三顕彰碑があり、曲直瀬道三のお墓がある


【京都検定 第15回1級】

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