曲直瀬道三(まなせどうさん)は、戦国時代から桃山時代の医師
正親町天皇、毛利元就、織田信長など戦国武将から重んじられる
京都に医学校 啓迪院を創建し、「医聖」と称され、日本医学中興の祖と称される
江戸幕府からは、曲直瀬家を世襲の侍医典薬とされた
<医学校 啓迪院(けいてきいん)>
京都に創建する
数百人の門人に医術を教える
観念的な治療方法から、道三流医道を完成させ、実証的な臨床医学を開き、四知(神・聖・功・巧)の方を創出する
田代三喜・永田徳本などと並んで「医聖」と称される
日本医学中興の祖と称される
<著書>
啓迪集・雲陣夜話・薬性能毒・百腹図説・正心集・指南鍼灸集・弁証配剤医灯・黄素妙論・雲陣夜話
など多数
<茶の湯>
茶の湯のたしなみが深かく、宮中や当時の有力者との交流を深めたといわれる
<名前の由来>
「曲直瀬」の姓は、蘇東坡の詩にちなみ、医学の流れが次第に曲がりくねって不浄となってきたのを、
往古の直にして清らかな流れに戻そうとする志を示す
「道三」の名は、師 田代三喜導道から取ったともいわれる
あるいは、東海・東山・北陸の三道を通り禅の修行をしたことから、その三道にちなむといわれる
<十念寺>
初代曲直瀬道三顕彰碑があり、曲直瀬道三のお墓がある