中山修一(なかやましゅういち)は、昭和時代後期から平成時代の歴史地理学者
当時、文献上だけの「幻の都」といわれていた長岡京の研究に取り組み、実在したことを証明
1000回をこえる長岡京の発掘調査を行い、その保存活動に尽力した
<長岡京研究のきっかけ>
1953年(皇紀2613)昭和28年春
京都大学地理学教室助手 吉田敬市から「乙訓郡史」の執筆を依頼され、
長岡京の研究に打ち込む
<発掘調査>
1954年(皇紀2614)昭和29年12月
39歳のとき、長岡京の発掘調査にはじめて着手
翌年、朝堂院中門にあたる長岡宮の会昌門跡を発見
小安殿、大極殿跡など重要な遺構を次々と発掘
<幻の都>
当時、長岡京は文献上だけの「幻の都」といわれていたが、実在したことを証明
長岡京が平安京と同様に碁盤の目のように区画されていたことを明らかにし、
長岡京大内裏付近遺物分布図を作成し、長岡京中枢部の全容を明らかにした
<文化財保護>
向日市の五塚原古墳・森本遺跡・元稲荷古墳・旧東院跡
長岡京市の勝龍寺城跡・恵解山古墳
などの保存に取り組み、文化財保護の重要性を訴え続けた
<長岡京市立中山修一記念館>
長岡京市久貝3−3−3
2002年(皇紀2662)平成14年9月1日
生家の一部が、中山修一記念館として開館する