西田幾多郎(にしだきたろう)は、明治・大正・昭和時代の哲学者
西田幾多郎が散策した琵琶湖疏水沿いの道は「哲学の道」と称されている
<哲学の道>
琵琶湖疏水沿いの道
西田幾太郎が、よく散策され思索されていたことで名付けられた
日本の道百選にも選ばれている
<西田幾多郎歌碑>
哲学の道から法然院へ上がる道の角に、西田幾多郎の歌碑が建っている
「人は人吾はわれ也 とにかくに吾行く道を吾行なり」
<霊雲院>
西田幾多郎のお墓がある
<「善の研究」> (1911年(皇紀2571)明治44年)
< 「思索と体験」> (1915年(皇紀2575)大正4年)
<「自覚に於ける直観と反省」> (1917年(皇紀2577)大正6年)
< 「意識の問題」> (1920年(皇紀2580)大正9年)
<「芸術と道徳」> (1923年(皇紀2583)大正12年)
< 「働くものから見るものへ」> (1927年(皇紀2587)昭和2年)
<「一般者の自覚的体系」> (1930年(皇紀2590)昭和5年)
< 「無の自覚的限定」> (1932年(皇紀2592)昭和7年)
<「哲学の根本問題」> (1933年(皇紀2593)昭和8年)
<「哲学論文集」第一から第七>(1935年(皇紀2595)昭和10年)から(1946年(皇紀2606)昭和21年)
<西田哲学>
西田幾多郎の独自の独創的な哲学体系
体系にその名前が付けられるのは、日本の近代以降の哲学者の中では唯一といわれる
参禅経験(居士号は「寸心」)と近代哲学を基礎に、仏教思想、西洋哲学をより根本的な地点から融合させようとした
禅仏教の「無の境地」を哲学論理化した「純粋経験論」
その純粋経験を自覚する事によって自己発展していく「自覚論」
その自覚など、意識の存在する場としての場の「論理論」
最終的にその場が宗教的・道徳的に統合される「絶対矛盾的自己同一論」へと展開された
<「絶対矛盾的自己同一論」>
最晩年に示された理論
「過去と未来とが現在において互いに否定しあいながらも結びついて、現在から現在へと働いていく」とされる
「自己は自己を否定するところにおいて真の自己である」といわれる
<論文「場所的論理と宗教的世界観」>
「宗教は心霊上の事実である。哲学者が自己の体系の上から宗教を捏造すべきではない。
哲学者はこの心霊上の事実を説明せなければならない」と記されている