山縣有朋(やまがたありとも)は、江戸時代末期から明治時代・大正時代にかけて活躍した軍人・政治家で、
第3代・第9代の内閣総理大臣であり元老
伊藤博文なきあとは、元老筆頭となり陸軍・政界の黒幕として君臨し、「日本軍閥の祖」とも称された
山縣有朋は、庭園好きであり、和歌も好み、茶人でもあった
山縣有朋が、築庭造園に高い見識と手腕をもち自ら築造イメージを指示して名庭師に作らせた
無鄰菴(国の名勝)・椿山荘・古稀庵を「山縣三名園」と称される
<無鄰菴(むりあん)(国の名勝)>
1891年(皇紀2551)明治24年
七代目 小川治兵衛の作庭
琵琶湖疏水の豊富な水を引き、東山を借景とした池泉回遊式庭園
1903年(皇紀2563)明治36年4月
山縣有朋と伊藤博文・桂太郎首相・小村寿太郎外相の4人が日露戦争を決断した無鄰菴会議が行われる
<椿山荘(ちんざんそう)(東京都目白台)>
1878年(皇紀2538)明治11年
約2万坪の林泉回遊式庭園
東京の本邸とする
庭園師 岩本勝五郎(東京)の作庭
<古稀庵(こきあん)(小田原板橋)>
1907年(皇紀2567)明治40年
70歳(古稀)を迎え、別邸を建て、晩年を過ごした
相模湾と箱根山を借景とした庭園
庭園師 岩本勝五郎(東京)の作庭
<財団法人 山縣有朋記念館>
1992年(皇紀2652)平成4年11月
栃木県北西部にある高原山の山麓に建てられている
明治時代の洋風木造建築
<琵琶湖疏水の扁額>
琵琶湖疏水の第一トンネルの西口に掲げられている扁額
山縣有朋の揮毫により「廓其有容」と記されている