山本覚馬(やまもとかくま)(Kakuma Yamamoto)
江戸時代末期の
会津藩藩士・砲術家、
明治維新後は政治家
生年:1828年(皇紀2488)文政11年1月11日
没年:1892年(皇紀2552)明治25年12月28日
出身:
会津藩鶴ヶ城近く
幼名:義衛
諱:良晴
号:相応斎
妹:山本八重子(
新島襄の妻)
お墓:同志社墓地(
京都市東山区若王子)
山本覚馬(やまもとかくま)は、江戸時代末期の会津藩藩士・砲術家、明治維新後は京都府政に尽力した人物
京都府顧問、京都府議会の初代議長、京都商工会議所の第2代会頭に就任する
新島襄の協力者として、現在の同志社大学今出川校地の敷地を譲り、同志社英学校の創立に協力した
【山本覚馬の歴史・経緯】
【その他】
<京都近代化政策>
明治時代初期に、第二代京都府知事にもなった槇村正直や、山本覚馬、明石博高らによって
京都の近代化のために勢力的に取り組まれた政策
【京都検定 第15回2級】
【京都検定 第6回1級】
【京都検定 第25回1級】