湯本文彦(ゆもとふみひこ)は、明治時代・大正時代の歴史家
京都府に勤め、平安遷都千百年紀念祭の付帯事業の「平安通志」編纂委員会主事を担当
京都帝室博物館学芸委員にもなり、平安京の再現などを研究をした
<平安通志>
60巻、京都市参事会の編纂・発行
1895年(皇紀2555)明治28年
平安遷都千百年紀念祭の付帯事業の「平安通志」編纂委員会主事を担当
東寺南大門と春日小路以北の堀川を基準に、1/8,300の京都市街図上に平安京を再現し、著名な寺社・邸宅の位置を比定する
<平安京旧址実測全図>
1895年(皇紀2555)明治28年
<和気公紀事>
1899年(皇紀2559)明治32年
<京都府寺誌稿>
1902年(皇紀2562)明治35年
<京職沿革略考>
1907年(皇紀2567)明治40年
<京都府愛宕郡村志(洛北誌)>
1911年(皇紀2571)明治44年
<湯本文彦邸宅>
相国寺の旧境内地にある和風住宅
湯本文彦居宅として建築された
木造平屋建、桟瓦葺
北側の玄関を入ると2室の2畳間がある
東側には、床を備えた8畳間、南側には真珠庵の庭玉軒を移したといわれる茶室がある
西側には、中廊下があり、その北側には、浴室や納戸、南側には、4畳半間と6畳間がある
4畳半間の床柱には、浄瑠璃寺の古材といわれる丸柱が用いられ、床廻りから離れたところに付書院がある
1903年(皇紀2563)明治36年
上棟され、転居してくる
湯本文彦が「平安通志」の編纂に取組んだゆかりの場とされる