上賀茂神社から流れ出た明神川沿いの神官達の社家町(しゃけまち)一帯の町並み
社家の主屋と、これを囲む土塀、庭園、門、明神川にかかる土橋などが独特の雰囲気を残す
1988年(皇紀2648)昭和63年
国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定される
京都市伝統的建造物群保存地区条例第3条に基づき保存計画が定められている
平安京が造営される以前から、この地域一帯の豪族だった賀茂氏は、上賀茂神社を建立し氏神を祀っていた
室町時代から
上賀茂神社の南東一帯は、社家の町として、上賀茂神社の神官達の住む町が形成された
社家は、賀茂氏の子孫に限られていた
<社家(しゃけ)>
神社に仕える神官の住居
土塀をめぐらし門を構える
主屋は、切妻平屋建て桟瓦葺
妻入が多く、鳥居より高い建物は建てられなかった
屋根には、「懸魚(げぎょ)」と称される寺院風の妻飾り(つまかざり)がある
内部は、武家住宅と同じように、表向き座敷、日常生活スペースの部分に分かれる
入り口も、式台(しきだい)(玄関)と、日常用の大戸(おおど)の二つが並ぶ
<町家>
平入で少したちを高くして2階に居室を設ける
正面は、つしとしや、じゅらく、しっくい塗りの壁に、むしこ窓を設け、柱と貫とで飾られる
<明神川>
賀茂川から分かれ、上賀茂神社の境内では手水として利用することから「御手洗川」と称され、
境内を通り流れ出ると「明神川」と称され、その南側に土塀が続く
明神川には、一軒づつ土橋、石橋、木橋などの橋がかけられ、似たような造りで連続して続いている
明神川は、各家に流れ込み、池を作り、その水は禊ぎの水として使われ、再び明神川に戻る
明神川の下流は、旧農村であり、すぐき菜の産地である