神功皇后(じんぐうこうごう)は、古墳時代前の第14代天皇 仲哀天皇の皇后、第15代天皇 応神天皇の母親
三韓征伐のために、お腹に子供(後の応神天皇)を妊娠したまま朝鮮半島に出兵する
武家に深く崇拝される八幡大神の聖母とされ、武芸の神さんの八幡三神の一柱「息長帯比売命」として祀られる
<聖母(しょうも)>
武家に深く崇拝される八幡大神(応神天皇)の母にあたる神とされ、武芸の神さんとして祀られる
住吉三神とともに住吉大神の1柱や、
応神天皇とともに八幡三神の1柱とされる
三韓征伐から筑紫国に帰国後、8本の幟(のぼり)を立てたことから、八幡信仰が始まったといわれる
<月延石(鎮懐石)>
三韓征伐のために、お腹に子供(後の応神天皇)を妊娠したまま玄界灘を渡り朝鮮半島に出兵したとき、
お腹に石を当てて、さらしを巻き、冷やすことによって出産を遅らせたといわれる
妊娠期間は15ヶ月だったといわれる
月延石は3つあったとされ、
月読神社(西京区)、月読神社(長崎県壱岐市)、鎮懐石八幡宮(福岡県糸島市)に奉納されたといわれる
<女王 卑弥呼>
「日本書紀」では、神功皇后を、「魏志倭人伝」に登場する女王 卑弥呼であるかのように記されている
別記:息長足日女命(オキナガタラシヒメノミコト)
住吉大神の一柱
八幡三神の一柱
息長帯比売命(オキナガタラシヒメノミコト)は、神功皇后が祭神として祀られたときの神名
皇子の応神天皇が八幡大神とされる
神功皇后は、武家社会の神さんである応神天皇の母親として多くの武人に崇拝され、
応神天皇とともに八幡三神の一柱「息長帯比売命」として祀られる
住吉三神とともに住吉大神の一柱としても祀られる
<御陵>
狹城盾列池上陵(奈良市山陵町)
公式形式は前方後円(前方後円墳、墳丘長275m)
「五社神古墳」とも称される
<月読神社>
本殿に向かって右に月延石(つきのべいし)が安置されている
「安産石」とも称される石
もと筑紫にあったとき、神功皇后が、この石でお腹を撫でて安産されたといわれる石
月読尊の神託により、舒明天皇が、伊岐公乙等を筑紫に派遣して持ち帰らせ、月読神社に奉納されたといわれる
<藤森神社>
祭神7柱のうち主祭神として祀られている
神功皇后が、山城国 深草の里 藤森の地を神在の聖地として、新羅出兵から凱旋し、
塚を作り、その兵具を納めて「いくさ旗」「纛旗(とうき)」を立てて神として祀ったことが由来とされる
本殿脇に、その御旗塚がある
<石清水八幡宮>
八幡三所大神として、応神天皇、宗像三女神とともに祀られている
石清水八幡宮縁起絵巻の下巻には、新羅王の降服や、応神天皇の誕生などの場面が描かれている
<御香宮神社>
神功皇后を主祭神とし、日本第一安産守護之大神として広く信仰を受けている
<城南宮>
祭神3柱の一つとして祀られている
神功皇后が新羅出兵に当たり、「いくさ旗」に八千矛神を勧請して勝利を祈願され、
凱旋後に宮中にて大切に保管されていた御旗を平安京遷都にあたり、その「いくさ旗」を城南宮の地に御神体として納め、
国土守護の神、国常立尊と神功皇后の御霊を祀って王城の南の守護神とされたのが由来
<離宮八幡宮>
八幡大神(応神天皇)とともに祀られている
<御所八幡宮>
応神天皇とともに祀られている
<幡枝八幡宮>
応神天皇とともに祀られている
<地祇神社>
祭神とされている
<板列八幡神社>
祭神3柱の一つとして祀られている
息長帯比売命と仲津姫命とされる「木造 女神坐像2躯(重要文化財)」がある
<酒屋神社>
式内社とされ、神功皇后が朝鮮から持ち帰った「九山八海の石」が、現在もあるといわれる
神功皇后が三韓遠征のときに、背後の山に酒壺を3個安置し、帰国後に、その霊験に感謝して社殿を創建されたといわれる
<住吉神社>
配祀されている
<新玉津嶋神社>
息長帯比売命として祀られている
<若宮八幡宮社>
八幡三神の一柱として祀られている
<若宮八幡宮>
主祭神の一柱として祀られている
<船鉾>
神功皇后の古事記の新羅出船の故事に由来して、鉾全体が船の形をしている
皇后の御神体が安産の神とされ、神面を付け、頭には天冠、紺金襴の大袖、緋の大口、緋縅(ひおどし)の大鎧を付けている軍装で、
岩田帯を巻いて巡行し、巡行の後で妊婦に授与される
先祭(さきのまつり)の最後に巡行し「出陣の船鉾」とも称される
<大船鉾>
神功皇后の古事記の新羅出船の故事に由来して、鉾全体が船の形をしている
後祭(あとのまつり)の最後に巡行し「凱旋船鉾」と称される
<八幡山>
主祭神は応神天皇で、比売大神・神功皇后が祀られている
<占出山>
鮎を持つ神功皇后が祀られている
神功皇后が、肥前国 松浦川で、鮎を釣って戦勝の兆としたという説話を表している
神功皇后は、安産の神さんとして祀られ、山鉾巡行のくじ順が早いとその年はお産が軽いといわれる