近衛信尹(このえのぶただ)は、安土桃山時代の公家
書道、和歌、連歌、絵画、音曲諸芸に優れた才能があった
寛永の三筆(本阿弥光悦・松花堂昭乗・近衛信尹)の一人
青蓮院流、張即之を学ぶ
藤原定家の書風を加え、信尹の個性である力強い筆力で速書きの豪放な書風を確立した
薩摩の坊津に3年間配流となったときに才能が出たといわれる
多くの人々に愛好され、「近衛流」、または「三藐院流」と称される
後世、本阿弥光悦・松花堂昭乗とともに「寛永の三筆」と称えられる
<大文字山>
1662年(皇紀2322)寛文2年に刊行された「案内者」によると、
五山の送り火の一つ、東山の大文字山の「大」の字形は、近衛信尹の筆画と記されている
<日記「三藐院記」>
1592年(皇紀2252)文禄元年より1606年(皇紀2266)慶長11年までの日次記(ひなみき)
<「御堂関白記」の抜書>
先祖 藤原道長が記した「御堂関白記」寛弘5年12月20日条の裏に、「後深心院関白記」を抜書し、
自筆本のうちの5巻分を折状の状態にした
跡を継いだ近衛信尋が、この抜書を発見し、表紙の外題に「裏信尹公手跡/自延文元至三年抜書」と書き付けた
<大徳寺>
春屋宗園に参禅し、古渓宗陳や沢庵宗彭らと親交があった