近衛信尹(このえのぶただ)(Nobutada Konoe)

安土桃山時代の公家

生年:1565年(皇紀2225)永禄8年11月1日
没年:1614年(皇紀2274)慶長19年11月25日
享年:50

父親:近衛前久(このえさきひさ)
母親:波多野惣七の娘

幼名:信基、信輔
諡号:三藐院(さんみゃくいん)

近衛家第17代当主

官職:関白、准三后

寛永の三筆本阿弥光悦松花堂昭乗・近衛信尹)の一人

 近衛信尹(このえのぶただ)は、安土桃山時代の公家

 書道、和歌、連歌、絵画、音曲諸芸に優れた才能があった

 寛永の三筆本阿弥光悦松花堂昭乗・近衛信尹)の一人

【近衛信尹の歴史・経緯】

【近衛信尹の書道】

 青蓮院流、張即之を学ぶ

 藤原定家の書風を加え、信尹の個性である力強い筆力で速書きの豪放な書風を確立した

 薩摩の坊津に3年間配流となったときに才能が出たといわれる

 多くの人々に愛好され、「近衛流」、または「三藐院流」と称される

 後世、本阿弥光悦松花堂昭乗とともに「寛永の三筆」と称えられる

 <大文字山>
 1662年(皇紀2322)寛文2年に刊行された「案内者」によると、
 五山の送り火の一つ、東山の大文字山の「大」の字形は、近衛信尹の筆画と記されている

【その他】

 <日記「三藐院記」>
 1592年(皇紀2252)文禄元年より1606年(皇紀2266)慶長11年までの日次記(ひなみき)

 <「御堂関白記」の抜書>
 先祖 藤原道長が記した「御堂関白記」寛弘5年12月20日条の裏に、「後深心院関白記」を抜書し、
自筆本のうちの5巻分を折状の状態にした
 跡を継いだ近衛信尋が、この抜書を発見し、表紙の外題に「裏信尹公手跡/自延文元至三年抜書」と書き付けた

 <大徳寺
 春屋宗園に参禅し、古渓宗陳や沢庵宗彭らと親交があった


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