西園寺公望(さいおんじきんもち)は、明治時代・大正時代・昭和時代の公家、政治家
王政復古で参与となり、貴族院議員、文相・外相・蔵相などを歴任し、日露戦争後、内閣総理大臣となる
「最後の元老」と称せられる
京都御苑の邸内に私塾立命館を開設したり、京都法政学校(現在の立命館大学)の創設に尽力する
西園寺公望は、教育にも熱心で、「科学や英語や女子教育を重視せよ」と述べている
<私塾 立命館>
1869年(皇紀2529)明治2年9月23日
京都御苑の邸内に私塾立命館を開設する
1870年(皇紀2530)明治3年年4月23日に閉鎖される
<第二次教育勅語>
1890年(皇紀2550)明治23年
井上毅らが作った「教育勅語」に反対して、明治天皇から教育勅語改定の許可を得て「第二次教育勅語」を作成する
草案は、立命館大学に寄贈されて現存している
<京都大学>
1897年(皇紀2557)明治30年6月18日
西園寺公望が、日清戦争で得た賠償金をもとに第三高等学校を帝国大学へ昇格させることを提案
勅令が制定され、京都帝国大学が発足
<京都法政学校(現在の立命館大学)>
1900年(皇紀2560)明治33年
西園寺公望の側近だった中川小十郎が創設する
西園寺公望は、その創設にも支援・尽力し、西園寺家家紋である「左三つ巴」を使用することも許可する
<清風荘(重要文化財)(国の名勝)>
京都大学にある
明治時代末、西園寺公望の私邸として建てられた近代和風建築
1944年(皇紀2604)昭和19年6月
住友家より、庭園とともに京都大学に寄贈され、教育、迎賓、会議施設として利用されている
1951年(皇紀2611)昭和26年6月9日、庭園が国の名勝として指定される
2007年(皇紀2667)平成19年5月15日、登録有形文化財に登録される
2012年(皇紀2672)平成24年7月9日、重要文化財に指定される