三条実美(さんじょうさねとみ)は、幕末維新・明治時代の公卿・政治家
尊皇攘夷派公家の中心的存在で、王政復古の功績により賞されている
太政大臣、内閣総理大臣兼任、貴族院議員などを歴任する
死の直前に正一位に叙され、現在のところ最後の叙位者
<梨木神社>
三条実萬・三条実美父子が祭神として祀られている
1885年(皇紀2545)明治18年10月
久邇宮朝彦親王の令旨により、三条家の邸宅跡の東に、三条実萬を祀るための社殿が創建され、別格官幣社とされる
1915年(皇紀2575)大正4年
大正天皇御大典のときに、三条実美が合祀される
<妙法院>
八月十八日の政変のときの「七卿落ち」の舞台
8月18日、三条実美ら尊皇攘夷派の公卿7人が妙法院の宸殿に集まり、長州藩藩兵に警護される中、協議をして
長州藩に下向することを決め、翌19日には、長州藩藩兵を伴い妙法院を出発する
<琵琶湖疏水>
第1湖疏第3トンネル西口には、三条実美が揮毫した「美哉山河」の扁額が掲げられている
<時代祭の時代行列>
維新志士列に、七卿落ちの7人が登場する