三条実萬(さんじょうさねつむ)(Sanetsumu Sanjyou)

江戸時代後期の公卿

生年:1802年(皇紀2462)享和2年2月15日
没年:1859年(皇紀2519)安政6年10月6日
享年:58

父親:清華家 内大臣 三条公修(さんじょうきんのぶ)
次男
母親:一条和子(一条輝良の娘)

息子:三男:元勲 三条実美

幼名:千代麿(ちよまろ)
別記:三條實萬、三条実万

官位:従一位・内大臣、贈右大臣、贈正一位

諡号:忠成公

お墓:二尊院

 三条実萬(さんじょうさねつむ)は、江戸時代後期の公卿

 日米修好通商条約調印問題では開国反対の立場の尊王攘夷派、一橋慶喜を擁立する一橋派の中心人物

【三条実萬の歴史・経緯】

【三条実萬ゆかりの地】

 <梨木神社
 祭神:三条実萬・三条実美父子
 京都御苑の東側にある


 <二尊院
 三条実萬・三条実美父子のお墓がある


【京都検定 第15回3級】

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