式子内親王(しょくしないしんのう)は、平安時代末期の後白河天皇の第3皇女
斎王として、賀茂社(上賀茂神社・下鴨神社)に奉仕される
藤原俊成を師として和歌を学び、勅撰集に60首余りを残しており、新三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人
藤原俊成(藤原定家の父親)を師として和歌を学ぶ
藤原俊成の歌論書「古来風躰抄」は式子内親王に贈られたものだといわれる
歌風は、藤原定家の技巧主義に、万葉歌人の情熱を混じえたものといわれ、
内に秘めた悲哀の情や孤独感を抑制しつつも、静かににじませる作風といわれる
他撰の家集「式子内親王集」
勅撰集に60首余りある
<百人一首89番>
「玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする」
言い伝えでは、式子内親王と藤原定家との交際の噂が立ったため、藤原定家の父親 藤原俊成が別れさせようと
藤原定家の家にやってきたが、藤原定家は留守で、部屋に内親王自筆のこの歌が残されていた
これを見た藤原俊成は二人の想いの真剣さを感じて、何も言わず帰ったといわれる
<伝 式子内親王墓>
般舟院陵山域内(京都市上京区)
石仏群と石塔がある