式子内親王(しょくしないしんのう)

生年:1149年(皇紀1809)久安5年
没年:1201年(皇紀1861)建仁元年1月25日
享年:53

後白河天皇の第3皇女

母親:藤原成子(藤原季成の娘)

同母兄弟:守覚法親王・亮子内親王(殷富門院)・高倉宮以仁王
異母弟:高倉天皇

号名:賀茂斎院(かもさいいん)

別称:しきしないしんのう、のりこないしんのう、萱斎院(かやのさいいん)、大炊御門斎院(おおいのみかどさいいん)

新三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人

 式子内親王(しょくしないしんのう)は、平安時代末期の後白河天皇の第3皇女

 斎王として、賀茂社上賀茂神社下鴨神社)に奉仕される

 藤原俊成を師として和歌を学び、勅撰集に60首余りを残しており、新三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人

【経緯】

【歌人】

 藤原俊成藤原定家の父親)を師として和歌を学ぶ
 藤原俊成の歌論書「古来風躰抄」は式子内親王に贈られたものだといわれる

 歌風は、藤原定家の技巧主義に、万葉歌人の情熱を混じえたものといわれ、
 内に秘めた悲哀の情や孤独感を抑制しつつも、静かににじませる作風といわれる

 他撰の家集「式子内親王集」
 勅撰集に60首余りある

 <百人一首89番
 「玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする

 言い伝えでは、式子内親王と藤原定家との交際の噂が立ったため、藤原定家の父親 藤原俊成が別れさせようと
藤原定家の家にやってきたが、藤原定家は留守で、部屋に内親王自筆のこの歌が残されていた
 これを見た藤原俊成は二人の想いの真剣さを感じて、何も言わず帰ったといわれる

【お墓】

 <伝 式子内親王墓>
 般舟院陵山域内(京都市上京区)
 石仏群と石塔がある


【京都検定 第9回2級】

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