有智子内親王(うちこないしんのう)は、平安時代初期の第52代 嵯峨天皇の第8皇女
初代賀茂斎院の斎王、漢詩人、女流吟詠家の祖といわれる
<初代 斎王>
洛北紫野にあった賀茂斎院で賀茂大神(賀茂社)に仕える日々を送った
<漢詩文>
斎院生活の日々を「史記」や「漢書」の中国古典に親しんだといわれる
17歳のとき、嵯峨天皇の斎院花宴行幸が行われ、春日山荘の題に対して、七言律詩を詠む
「寂寂(じゃくじゃく)たる幽荘(ゆうそう) 水樹の裏 仙輿(せんよ)は一とたび降る一池塘(ちとう)、
林に栖む孤鳥は春沢を識り、澗(たに)に隠れし寒花も日光を見る。
泉声は近く報ず初雷の響、山色は高く晴れ暮雨(ぼう)行く。
此より更に知れり恩顧(おんこ)の渥(あつ)きを。生涯何を以ってか穹蒼(そうきゅう)に答えん」
嵯峨天皇は、この詩を賛嘆されたといわれ、その場で三品の位を授けたといわれる
「経国集」に8首、「雑言奉和」に1首、「続日本後紀」に1首、合計10首が残されている
有智子内親王は、女流吟詠家の祖といわれる
<有智子内親王墓>
落柿舎の西隣
<賀茂斎院跡>
賀茂大神(賀茂社)に仕える日々を送ったところ
現在は櫟谷七野神社が立っている
<葵祭>
賀茂社(上賀茂神社・下鴨神社)の祭礼
現在は、斎王代により奉仕されている