建礼門院(けんれいもんいん)は、平安時代末期の第80代 高倉天皇の中宮
平清盛の次女で、平氏とともに都落ちし、壇ノ浦の戦いで平家一族が滅亡した後も生き残った悲劇のヒロイン
出家をした後に寂光院にて余生を過ごした
陵墓も寂光院内にあり、安徳天皇とともに各地の水天宮で祀られている
<寂光院>
隠棲し余生を送った、大原の地にある寺院
<建礼門院陵>
寂光院の東にある
<熊野神社>
1178年(皇紀1838)治承2年11月
高倉天皇の中宮 徳子が、皇子ご安産祈願のため使を遣わされ、無事に安徳天皇がご誕生になった
<新熊野神社>
高倉天皇が中宮 徳子のために安産祈願をした神社とし、「安産の神様」として信仰を集めている
<帯祝い>
1177年(皇紀1837)治承元年
高倉天皇の中宮 徳子が、安徳天皇を懐妊した際に、着帯の儀が行われたといわれる