待賢門院(たいけんもんいん)藤原璋子(ふじわらのしょうし) 京都通メンバ
藤原璋子(ふじわらのしょうし)は、平安時代末期の鳥羽天皇の中宮で、崇徳天皇後白河天皇の母親

生年:1101年(皇紀1761)康和3年
薨去:1145年(皇紀1805)久安元年8月22日
宝算:45

鳥羽天皇の中宮

女院号:待賢門院

出身:閑院流藤原氏

父親:正二位行権大納言 藤原公実(ふじわらきんざね)
末子
母親:藤原光子(左中弁 藤原隆方の娘)(堀河天皇鳥羽天皇の乳母)

法名:真如法

子供:5男2女
 顕仁親王(崇徳天皇)・禧子内親王(賀茂斎王)・通仁親王・君仁親王・統子内親王(上西門院)・雅仁親王(後白河天皇)・
 本仁親王(仁和寺第5世門跡 覚性法親王)

同母兄姉:権中納言 藤原通季(西園寺家祖)、左大臣 藤原実能(徳大寺家祖)、
 大炊御門経実室 藤原公子(二条天皇の外祖母)
異母兄:太政大臣 藤原実行(三条家祖)

お墓:鳥羽天皇皇后 璋子 花園西陵

 待賢門院(たいけんもんいん)は、平安時代末期の鳥羽天皇の中宮で、崇徳天皇後白河天皇の母親

 正二位行権大納言 藤原公実(藤原氏北家)の娘 藤原璋子(ふじわらのしょうし)の女院号

 幼いころから美しく奔放な娘で、治天の君 白河法皇の寵愛を受け、白河法皇の孫の鳥羽天皇の中宮となる

 信仰心も深く、荒廃していた法金剛院を再興させ、晩年を過ごした

【待賢門院の歴史・経緯】

【待賢門院 藤原璋子】

 幼いころから美しく奔放な娘で、治天の君 白河法皇の寵愛を受ける

 「今鏡」によれば、
 白河法皇鳥羽上皇と中宮璋子は三条室町殿に同居し、外出の際にも同じ車に乗って行幸されていたといわれる


 璋子は、箏の琴(十三絃琴)の名手

 女房三十六歌仙の一人
 「金葉和歌集に入集されている
 家集「待賢門院堀河集」がある

【待賢門院のゆかりの地】

 <法金剛院
 荒廃していたところを再興させ、晩年を過ごした
 「待賢門院桜(枝垂れ桜)」の名木がある

 <鳥羽天皇皇后 璋子 花園西陵
 御陵が、法金剛院背後の五位山の中腹にある

【その他】

 <円勝寺
 六勝寺の一つで、待賢門院の勅願寺だった寺院

 <待賢門院璋子の法服地蔵像>
 裸形の像に法服を着せたもの
 院覚の作


【京都検定 第15回3級】

【京都検定 第16回3級】

【京都検定 第8回2級】

【京都検定 第11回2級】

【京都検定 第25回2級】

【京都検定 第13回1級】

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