人康親王(さねやすしんのう)(Saneyasu Shinno) 京都通メンバ
平安時代初期の第54代 仁明天皇の第四皇子

生年:831年(皇紀1491)天長8年
薨去:872年(皇紀1532)貞観14年5月5日
宝算:42

父親:第54代 仁明天皇
第四皇子
母親:藤原沢子(藤原総継の娘)

光孝天皇の同母弟

元服:845年(皇紀1505)承和12年

官位:四品・弾正尹 兼 常陸太守
法号:法性(ほっしょう)

別称:山科宮

陵墓:人康親王墓

 人康親王(さねやすしんのう)は、平安時代初期の第54代 仁明天皇の第四皇子

 高熱により失明し宮中から追われ、山科 諸羽山の麓に山荘を造営して隠棲して出家する

 琵琶の名手とされ、盲人を集めて、琵琶や管絃、詩歌を教えていたといわれ、琵琶法師・座頭の祖神とされる

 山科四宮の周辺には人康親王ゆかりの旧蹟がいくつかあり、地名「四ノ宮」「泉水町」の由来といわれる

【人康親王の歴史・経緯】




【人康親王】

 <琵琶法師・座頭の始祖>
 28歳のとき、高熱により両目を失明し、宮中から追われ、山科 諸羽山の麓に山荘を造営して隠棲した
 琵琶の名手とされ、盲人を集めて、琵琶や管絃、詩歌を教えていたといわれる

 人康親王の薨去後には、盲官に「検校」「別当」「匂当」「座頭」という位が与えられるようになる
 僧職に就いた者は「法師」と称された

 検校や琵琶法師たちは、人康親王を琵琶法師・座頭の始祖 始祖 雨夜尊(あまよのみこと)や天夜尊と崇めた

【人康親王ゆかりの地】

 山科区四ノ宮の周辺には、人康親王ゆかりの地がいくつもある

 <仁明天皇皇子 人康親王墓
 人康親王の御墓

 <琵琶琴元祖四宮大明神
 人康親王を祭神として祀られている

 <諸羽神社
 人康親王の琵琶石がある

 <十禅寺
 人康親王を開山として、隠棲した山科御所を寺院とされた

 <徳林庵
 人康親王の供養塔がある

 <人康親王山荘跡
 人康親王が出家して隠棲した山荘跡


【その他】

 <地名「四ノ宮」の由来>
 この地に隠棲した人康親王が、仁明天皇の第4皇子であったことから「四宮」と称された
 人康親王が隠棲した山荘は、「四ノ宮」「山科御所」「山階宮」などと称される

 <地名「泉水町」の由来>
 この地は、諸羽山の麓にあり、大きな池があった
 人康親王が宮中を追われ、悔しさに泣きながら足をこすると泉が湧いたといわれる


 <伊勢物語>
 78段に登場する「山科の禅師親王」は、人康親王のことといわれる


 <蝉丸(せみまる)>
 平安時代前期の歌人
 盲人で、琵琶の名器「無名」を愛用した琵琶法師だったといわれる
 江戸時代には、人康親王と同じような境遇だったため混同されていた

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