後陽成天皇(ごようぜいてんのう)は、桃山時代から江戸時代初期の第107代天皇
豊臣秀吉による聚楽第への行幸が行われたり、徳川家康を征夷大将軍に任じたりした
<自著「源氏物語聞書」>
<自著「伊勢物語愚案抄」>
<慶長勅版>
「日本書紀神代巻」「古文孝経」など、木製活字を作らせ印行させた
<詠歌「後陽成院御製詠五十首」>
<日記「慶長六年正月叙位記」>
<「古今伝授」>
「古今和歌集」所収和歌の解釈に関する秘説「古今伝授」を伝える細川幽斎が、関ケ原の戦で丹後田辺城に籠城したため
助け出すために勅使を派遣した
<御陵 深草北陵>
伏見区深草坊町
方形堂
後深草天皇と合葬
<日向大神宮>
後陽成天皇により、内宮・外宮の御宸筆の額を賜る
<平野神社>
後陽成天皇の勅命で、社殿が再建されたとき、桜林も再整備された
<出世稲荷神社>
後陽成天皇が聚楽第に行幸したときに稲荷社に参拝され、立身出世を遂げた豊臣秀吉にちなんで「出世」の称号を賜る
<豊国神社
後陽成天皇から「正一位」の神階と、「豊国大明神(とよくにだいみょうじん)」の神号を賜る
<吉田神社>
後陽成天皇の勅命により、八神殿が奉遷され、吉田兼見が鎮魂祭を行う
<毘沙門堂>
後陽成天皇の勅命によって、徳川家康とも関係の深かった天台宗 天海大僧正によって復興が行われる
<福勝寺>
後陽成天皇の勅願寺であった
<護浄院>
皇居守護のために東南の地に遷座するようにとの勅命により、現在の地に移され、「常施無畏寺」の号を賜わり、
後陽成天皇御自作の如来荒神尊七体を合祀される
<報恩寺>
後陽成天皇より、報恩寺の完成祝賀の御消息や六字名号を賜る
<法輪寺>
後陽成天皇から「智福山」の号を賜り、法輪寺再興の勅旨を下され諸国から浄財を募り再興が行われる
<実相院>
和歌や故実に秀でた後陽成天皇の真筆の本「後陽成天皇宸翰 仮名文字遣」(重要文化財)を所蔵する
連歌師 里村紹巴が校訂した本を、学識に優れた公家 三条西公条が書写し、それを後陽成天皇が書き写したもの
<聚楽第跡>
豊臣秀吉が、平安京の大内裏跡の内野の地に創建した天守閣を持つ壮大な屋敷
1588年(皇紀2248)天正16年4月14日
豊臣秀吉により、盛大な後陽成天皇の行幸が行われ、豊臣政権の実質的な成立を天下に知らしめた