光格天皇(こうかくてんのう)は、江戸時代中期の第119代天皇
博学多才で学問に熱心であり、作詩や管弦を嗜んだ
実父 閑院宮典仁親王と同じく歌道にも優れていた
中世以来絶えていた朝儀の再興、朝権の回復に努め、朝廷が近代天皇制へ移行する下地を作ったとされている
400年近く途絶えていた石清水八幡宮や賀茂社の臨時祭に努めた
<陵(みささぎ)>
後月輪陵(のちのつきのわのみささぎ)(泉涌寺寺内)
石造九重塔
<下御霊神社>
本殿は、光格天皇により仮皇居の内侍所(賢所)が下賜され移建されたもの
<平安神宮>
蒼龍池(そうりゅうち)は、光格天皇の遺愛の珍しい杜若「折鶴(おりずる)」がある
<聖護院門跡>
一時期、仮皇居とされたところ
光格天皇宸翰 神変大菩薩号勅書(重要文化財)
光格天皇が、役行者の滅後1100年の後遠忌のときに、烏丸大納言を勅旨として聖護院に派遣され、
役行者に「神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)」の名を追賜されたときの勅書
全文が光格天皇の真筆
<泉涌寺>
後月輪陵がある
庭園の雪見灯籠は、仙洞御所より移され光格天皇が好まれたもの
<宝鏡寺>
阿弥陀堂は、光格天皇の勅作の阿弥陀如来立像が安置されていることから「勅作堂」とも称される
<光照院>
代々皇女が入寺され、光格天皇より「常磐御所」の称号を賜わる
<仁和寺>
光格天皇の好みで建てられた草庵式の茶室 飛濤亭(重要文化財)がある
<廬山寺>
本堂は、光格天皇の勅命で仙洞御所から移築されたものといわれる
<円山応挙>
光格天皇が、円山応挙の絵を愛寵したといわれる
<尊号一件・尊号事件>
光格天皇は、父親 閑院宮典仁親王に「太上天皇」の尊号を贈ろうとしたが、老中 松平定信が反対
松平定信は、同じように、将軍 徳川家斉が、父親 一橋治済に「大御所」の称号を贈ることも反対していた
これらのことに、朝幕間は緊張したが、
典仁親王の実弟の関白 鷹司輔平が、光格天皇と松平定信の双方を説得し、事態収拾を図った
1884年(皇紀2544)明治17年
明治天皇の高祖父にあたるということで、閑院宮典仁親王に「慶光天皇」の諡号と「太上天皇」の尊号が贈られた
<上皇><太上天皇(だいじょうてんのう)>
今上天皇が、皇太子などの後継者に譲位し退位された場合の呼称
光格天皇が仁孝天皇に譲位して以後には、平成の天皇まで、上皇になった天皇は誰もいなかった