応神天皇(おうじんてんのう)は、古墳時代の第15代天皇
朝鮮半島からの渡来人による技術の導入などがあり、大和朝廷の勢力が大きく発展したといわれる
確実に実在が確かめられる最初の天皇といわれる
<八幡大神>
武家に深く崇拝される武芸の神さんとして祀られる
神功皇后とともに八幡三神の1柱とされる
<別称「譽田天皇(ほむたのすめらみこと)」>
「日本書紀」に記されている名称
応神天皇が生まれた時、腕の肉が弓具の鞆(ほむた)のように盛り上がっていたことにちなむといわれる
<別称「胎中天皇」>
住吉三神の神託により、母親 神功皇后の胎内にいたときから皇位に就く宿命にあったことにちなむ
<倭王讃>
「宋書」や「梁書」の倭国伝に登場する倭の五王の一人の讃(さん)(倭王讃)であるといわれる
<弓月君(ゆづきのきみ)(融通王)(秦氏の先祖)>
朝鮮半島の百済から120県の民を率いて帰化を希望していた弓月君が、新羅の妨害にあって、応神天皇に援軍を求めてくる
弓月君らは、葛城襲津彦の助けで加羅(伽耶)にとどまっていた
平群木莵宿禰と的戸田宿禰が率いる精鋭が加羅に派遣され、新羅国との国境に展開し、無事に弓月君の民の渡来が実現し
秦氏の先祖となったといわれる
<伝来>
この時期、朝鮮 百済(くだら)から阿直岐(あちき)、王仁(わに)らが経典や典籍をもたらしたといわれる
朝鮮半島からの渡来人による技術の導入など、大和朝廷の勢力が大いに発展したといわれる
<御陵>
応神天皇 惠我藻伏崗陵(えがのもふしのおかのみささぎ)(大阪府羽曳野市誉田)
公式形式は前方後円、墳丘長約420m
「誉田御廟山古墳」「誉田陵(こんだりょう)」とも称される
高度の造営技術を取り入れた、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)に次ぐ第2位の規模の大前方後円墳
<藤森神社>
応神天皇、神功皇后、素戔嗚尊、別雷命、日本武尊、武内宿彌、仁徳天皇の7柱の祭神が祀られている
<御香宮神社>
応神天皇、神功皇后、仲哀天皇の他6柱が祀られている
<石清水八幡宮>
八幡三所大神として、八幡大神(誉田別尊、応神天皇)、神功皇后、宗像三女神が祀られている
<御所八幡宮>
応神天皇、神功皇后、比賣神が祀られている
<幡枝八幡宮>
応神天皇、神功皇后が祀らている
<平岡八幡宮>
主祭神として祀られている
<板列八幡神社>
誉田別尊(応神天皇)、神功皇后、稲乃賣神が祀らている
<首途八幡宮>
誉田別尊(応神天皇)、神功皇后、比咩大神が祀らている
<鍬山神社>
誉田別尊(応神天皇)、大己貴命が祀らている
<三宅八幡宮>
八幡大神(応神天皇)が祀らている
<大豊神社>
応神天皇、少彦名命、菅原道真が祀らている
<離宮八幡宮>
八幡大神(応神天皇)、神功皇后、酒解大神、比売三神が祀らている
<宇治上神社>
応神天皇、菟道稚郎子命、仁徳天皇が祀らている
この地に応神天皇の離宮があり、宇治神社と一対で「宇治離宮明神(うじりきゅうみょうじん)」と総称される
<若宮八幡宮社>
八幡三神として、応神天皇・神功皇后・仲哀天皇が祀らている
<若宮八幡宮>
主祭神の一柱として祀られている
<保津八幡宮>
主祭神として祀られている
<金攫八幡宮>
主祭神として祀られている
<酒屋神社>
応神天皇が配祀されている
<村山神社>
応神天皇が配祀されている
<伏見稲荷大社>
末社の八幡宮に祀られている
<今宮神社>
末社の八幡社に、応神天皇、神功皇后、比賣神が祀られている
<板列稲荷神社>
末社の八幡神社に、誉田別尊(応神天皇)、神功皇后、比売大神が祀られている
<長尾天満宮>
末社の八幡宮に祀られている
<長岡天満宮>
末社の八幡社に、厄除けの守護神として祀られている
<志古淵神社>
末社の若宮社に祀られている
<下御霊神社>
末社の八幡社に、応神天皇、神功皇后、比売大神が祀られている
<棚倉孫神社>
末社の八幡大菩薩社に、天児屋命、天照皇大神、応神天皇が祀られている
<天神社>
末社の八幡神社に祀られている
<八坂神社>
末社の八幡社に祀られている
<八瀬天満宮>
末社の八幡宮に祀られている
<神應寺>
行教によって、応神天皇の御牌所として創建された
<祇園祭 八幡山>
応神天皇を主祭神として、神功皇后、比売大神が祀られている
国家鎮護・厄除け・安産・育児にご利益があるとされる
<古事記>
中巻(なかつまき)に、初代 神武天皇から応神天皇までの后妃・皇子・皇女、皇居、治世年数・崩御・陵墓地、
その治世の出来事などについて記されている