嵯峨天皇(さがてんのう)

平安時代初期の第52代天皇

生年:786年(皇紀1446)延暦5年9月7日
没年:842年(皇紀1502)承和9年7月15日
宝算:57

父親:第50代 桓武天皇
第二皇子
母親:藤原乙牟漏

諱:賀美能(神野)(かみの)

即位:809年(皇紀1469)大同4年4月1日
退位:823年(皇紀1483)弘仁14年4月16日

元号:大同・弘仁

先代:平城天皇(同母兄)
次代:淳和天皇(異母弟)

皇后:橘嘉智子(檀林皇后)
皇子:正良親王(仁明天皇)、源信ほか
皇女:有智子内親王ほか

御陵:嵯峨山上陵

 嵯峨天皇(さがてんのう)は、平安時代初期の第52代天皇

 嵯峨野の北東に造営した離宮 嵯峨院が、後に大覚寺になり、大沢池のほとりには名古曾滝などの遺構が残っている

 伊勢神宮の斎王にならって、賀茂社上賀茂神社下鴨神社)に奉仕させる賀茂斎院の制を設け、皇女 有智子内親王
初代斎王とした

【嵯峨天皇の歴史・経緯】

【嵯峨天皇ゆかりの地】

 <大覚寺
 嵯峨天皇が、嵯峨野の北東に位置するこの地に営んでいた離宮 嵯峨院を寺院にしたのが由来
 嵯峨天皇の信任を得ていた空海が、離宮内に五大明王を安置する堂を建て、修法を行ったといわれる

 <大沢池
 嵯峨天皇が離宮 嵯峨院を造営したときの、池泉舟遊式庭園の遺構で、大沢池のほとりには、名古曾滝が残っている
 嵯峨天皇は、菊ヶ島に咲く菊を手折って挿し花としたといわれる

 <東寺
 官寺だった東寺空海に下賜され、真言密教の道場とされた

 <賀茂社上賀茂神社下鴨神社)>
 嵯峨天皇は御杖代(みつえしろ)として、皇女 有智子内親王斎王として賀茂斎院の制を設け、
 その後、約400年間、斎院がたてられた

 <二尊院
 慈覚大師 円仁が、嵯峨天皇の勅命により二尊教院 華台寺(けいだいじ)を建立したことが由来
 二尊教院と華台寺の2つの寺院があったともいわれる
 境内の奥にある三帝陵には、土御門天皇・後嵯峨天皇亀山天皇の分骨が安置されている

 <車折神社
 地主神社(じぬしじんじゃ)に祭神として嵯峨天皇が祀られている

 <延暦寺
 嵯峨天皇の筆の光定戒牒(こうじょうかいちょう)(国宝)がある

 <梅宮大社
 皇子をなかなか授からなかった嵯峨天皇の檀林皇后が、正良親王(後の仁明天皇)を授かったといわれる霊石「またげ石」がある

 <岩船寺
 嵯峨天皇の勅命により、智泉大徳による皇子懐妊祈願が行われ、正良親王(後の仁明天皇)が誕生する
 皇子を授かったことで、嵯峨天皇の檀林皇后により伽藍が整えられ、水田10町、山林360町が寄進される

 <地主神社
 嵯峨天皇が行幸され、地主桜の美しさに三度車を返されたことから、「御車返桜」の名前の由来となる

 <六角堂
 嵯峨天皇の勅願寺であった

 <貴船神社
 嵯峨天皇が勅使を遣わして、祈雨を行ったといわれる

 <神泉苑
 嵯峨天皇が勅使を遣わして、祈雨を行ったといわれる

 <雨宝院
 空海が、親交の深かった嵯峨天皇の病気平癒を歓喜天を祀り祈願したことで、嵯峨天皇の別荘であった千本五辻の
時雨亭を賜わり、「大聖歓喜寺(だいしょうかんぎじ)」としたことが由来

 <蚕の社
 嵯峨天皇が、「糺」を下鴨神社に遷し、木嶋神社の森を「元糺」とされたといわれる

 <大原神社
 嵯峨天皇の勅命によって、勧請される

 <千代の古道
 嵯峨天皇が嵯峨院(現在の大覚寺)へ行幸のとき、休息の場所とされた「さざれ石」が残っている

 <御陵>
 大覚寺の西北、嵯峨野の北にある御廟山の山頂にある嵯峨山上陵(さがのやまのえのみささぎ)に治定されている
 右京区北嵯峨朝原山町
 形式は円丘

【嵯峨天皇と文化】

 <能書>
 空海橘逸勢と共に三筆の一人とされる
 「光定戒牒」(国宝)が延暦寺に所蔵されている

 <漢詩文>
 神泉苑などで、たびたび詩宴が持たれ、勅撰させた「凌雲集」「文華秀麗集」「経国集」に収められている

 <歌道
 「類聚国史」には、和歌2首が収められている

 <華道
 嵯峨御流の開祖ともされる
 大覚寺嵯峨御流の総司所がおかれ、嵯峨天皇の命日に華道祭が行われている

 <唐風文化>
 遣唐使として唐に渡った最澄空海とも交流を持った
 宮中儀式や服装、宮城諸門の名前などについても唐風に改められた
 唐風俗であった喫茶を奨励した

【その他】

 <葵祭
 賀茂社上賀茂神社下鴨神社)の祭礼
 嵯峨天皇により、最も重要な恒例祭祀(こうれいさいし)である「中祀(ちゅうし)」に準じられるようになる

 <斎院
 賀茂の神の御杖代(みつえしろ)として、賀茂社上賀茂神社下鴨神社)に奉仕した斎王の御所
 嵯峨天皇が、伊勢神宮の斎王にならって、皇女 有智子内親王を初代斎王として賀茂斎院の制を設けた
 その後、鎌倉時代にかけて約400年間、斎院がたてられた
 賀茂斎王制ができたことにより、伊勢の斎王の御所を「斎宮」、賀茂を「斎院」として区別されるようになった

 <源氏物語
 嵯峨天皇の皇子 源融が、主人公の一人の光源氏のモデルとなっている

 <嵯峨源氏>
 50人以上の皇子皇女がいたとされ、財政を圧迫したこともあり、皇族の整理を行い姓を賜り臣籍降下させた
 嵯峨天皇の子で源姓を賜ったものと、その子孫を「嵯峨源氏」と称される
 河原左大臣 源融は、嵯峨天皇の皇子の一人

 <故事>
 「日本霊異記」によると
 758年(皇紀1418)天平宝字2年
 伊予国の石鎚山にいた名僧 寂仙が亡くなるとき、「28年後、国王の御子に生まれ変わり神野と名乗る」と遺言した
 その28年後の786年(皇紀1446)延暦5年
 桓武天皇に皇子が生まれ神野親王と名付けられた


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