宇多天皇(うだてんのう)は、平安時代初期の第59代天皇
仁和寺を創建して、譲位後に出家した最初の法皇で、寛平法皇とも称される
<仁和寺>
宇多法皇は、開基であり、仁和寺第一世
888年(皇紀1548)仁和4年
崩御した父親 光孝天皇の勅願で建て始められていた寺院を、遺志を継いで創建し、
この時の年号にちなみ寺号を「仁和寺」とし、勅願寺とする
899年(皇紀1559)昌泰2年10月24日
宇多上皇は、東寺の益信(やくしん)から受戒して出家し、仁和寺に入って最初の法皇となる
<御室>
御室(おむろ)は、京都市右京区の仁和寺門前を中心に広がる地域
宇多法皇が仁和寺に住まわれていたことから称され、興隆していく
<衣笠山>
宇多法皇が、真夏に雪景色が見たいと言い出し、山に白絹をかけて覆い雪景色に見せたという故事から
「きぬかけ山」と称される
<大豊神社>
宇多天皇平癒勅願社の碑がある
<乙訓寺>
897年(皇紀1557)寛平9年
宇多天皇が法皇となられて、乙訓寺を行宮(あんぐう)とされ、堂塔が整備され「法皇寺(ほうおうじ)」と号された
<山崎聖天>
899年(皇紀1559)昌泰2年
宇多天皇が創建する
<上品蓮台寺>
960年(皇紀1620)天徳4年
宇多法皇の勅願により、寛空僧正(かんぐうそうじょう)が、広大な境内に伽藍を再建された
<不動堂明王院>
899年(皇紀1559)昌泰2年
弘法大師 空海が不動明王を安置した井戸を、宇多法皇が勅命によって封じ、その不動尊を「霊石不動明王」と名付けて、
堂宇が創建される
<上徳寺>
源氏物語の光源氏のモデルともいわれる源融が邸宅 六条河原院を創建し、塩焼をする
源融の死後、宇多上皇の御所となる
<三船祭>
嵐山で営まれる車折神社の祭礼
1928年(皇紀2588)昭和3年
宇多上皇行幸の御船遊びにちなみ、昭和の御大典(即位)を記念して、例祭の延長神事として始められる
<亭子院(ていじのいん)>
西洞院大路の西側、左京七条二坊にあった、宇多天皇の譲位後の後院
<亭子院歌合>
913年(皇紀1573)延喜13年3月13日
亭子院で行われた大掛かりな歌合
<宇多天皇日記>
初めての天皇の日記