冷泉天皇(れいぜいてんのう)は、平安時代中期の第63代天皇
18歳で即位するが、幼いころから精神的な病気により、成人になっても藤原氏による関白・摂政につき、以降、常置となる
<和歌>
「年へぬる竹の齢(よはひ)をかへしてもこのよを長くなさむとぞ思ふ」(詞花和歌集より)
<冷泉院>
冷泉天皇が上皇になられて11年間住まわれた後院(上皇の御所)
現在の二条城の東北あたり
嵯峨天皇が造営した離宮 冷然院だったところ
<奇行>
「大鏡」などによると
幼いころから精神的な病気が目立ったといわれ、症例としては
足に怪我をしても、一日中、蹴鞠をしていた
子供の頃、父親 村上天皇への手紙の返事に、男性器の絵を描いて送った
住まいの清涼殿の近くにある見張り小屋の上に座り込んだ
病気で寝込んでいたとき、大声で歌を歌った
院御所が火事になり、避難する途中、牛車の中で大声で歌を歌っていた
これらの奇行は、孫の天皇即位を奪われた藤原元方の怨霊によるものとされる
これらのことがあり、藤原実頼が、しばらく途絶えていた関白となり政務を行った
その後、摂関職が常置されるようになる
<源氏物語>
登場人物は全て架空だが、朱雀院と冷泉院だけが実名として登場する
源氏物語の冷泉帝は、3番目の帝
光源氏と継母 藤壺の宮の密通によって生まれた子供だが、主人公 光源氏の末弟として育ち即位する
藤壺の宮が亡くなってから自身の出生を知ることになる設定になっている
<東三条殿跡>
冷泉天皇が太上天皇となられ、冷泉院に11年間住まわれた後の後院
一条天皇や三条天皇の里内裏とされていたところ
1011年(皇紀1671)寛弘8年
冷泉上皇が、東三条院で崩御される
<御陵(みささぎ)>
櫻本陵(桜本陵)(さくらもとのみささぎ)
左京区鹿ヶ谷法然院町・鹿ヶ谷西寺ノ前町
宮内庁上の形式:円丘
「日本紀略」によれば、
桜本寺前野で火葬され、その山傍に遺骨が埋葬されたといわれる