白河天皇(しらかわてんのう)(ShirakawaTennou)
白河天皇:第72代天皇
生年:1053年(皇紀1713)天喜元年6月19日
立太子:1069年(皇紀1729)延久元年
即位:1072年(皇紀1732)延久4年12月8日
譲位:1086年(皇紀1746)応徳3年11月26日
崩御:1129年(皇紀1789)大治4年7月7日
諱:貞仁(さだひと)
父親:第71代 後三条天皇
第1皇子
母親:藤原茂子
先代:後三条天皇
次代:
堀河天皇
別称:白河上皇・白河法皇
陵墓:成菩提院陵(
京都市伏見区竹田浄菩提院町)
白河天皇(しらかわてんのう)は、平安時代後期の第72代天皇
譲位後に院政を始め、鳥羽に南殿を創建し、院御所(鳥羽離宮)の造営を行い、
堀河天皇・鳥羽天皇・崇徳天皇の43年間の政治を仕切っていた
僧兵の抑圧のために源平両氏を起用したことで、その後の武士進出のきっかけを作ったとされる
【白河天皇の歴史・経緯】
【白河天皇のゆかりの地】
<
鳥羽離宮>
平安時代後期に、白河上皇・鳥羽上皇が造営した壮大な離宮
白河上皇・
鳥羽上皇・
後白河上皇により院政が行われ政治の舞台となった院御所と、御堂、苑池からなる
白河天皇陵もある
<
法勝寺>
白河殿の地に、白河天皇の発願により造営された
勅願寺
<
三室戸寺>
光仁天皇、
花山天皇、白河天皇の三天皇の離宮になった事で「三室戸寺」と名付けられたといわれる
<
堀河院(堀川殿)>
関白 藤原兼通によって改修された邸宅で、
円融天皇が初めての
里内裏とされ、白河天皇・
堀河天皇・
鳥羽天皇の
里内裏となった
<
忠盛燈籠>
白河法皇が、
平忠盛を伴って
祇園女御に会うために
祇園社を通りかかった夜
闇夜に光る怪物が出たと平忠盛に退治を命じたといわれる、白河法皇が見間違えた燈篭
【その他】
<北面武士>
白河上皇は、白河院の身辺警衛や行幸の際にお供した武士集団を創設する
白河院の御所の北面を詰所としていたので、「北面武士」と称されるようになった
<治天の君>
白河天皇は、幼い第73代堀河天皇に譲位後、院政を始め、
その後、孫の第74代鳥羽天皇、さらに曾孫になる(白河法皇の御落胤とも噂される)第75代崇徳天皇と、
3代43年の間、院政により天下を治め「治天の君」と称される
<天下の三不如意(平家物語)>
院政により絶大な権力を誇っていた白河法皇も、
頻繁に氾濫する賀茂川と、サイコロの目、比叡山延暦寺の僧兵だけはどうしようもなく、
「賀茂川の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなはぬもの」と嘆いたといわれる
【京都検定 第4回3級】
【京都検定 第9回3級】
【京都検定 第12回3級】
【京都検定 第14回3級】
【京都検定 第15回3級】
【京都検定 第16回3級】
【京都検定 第18回3級】
【京都検定 第20回3級】
【京都検定 第1回2級】
【京都検定 第4回2級】
【京都検定 第7回2級】
【京都検定 第10回2級】
【京都検定 第11回2級】
【京都検定 第15回2級】
【京都検定 第16回2級】
【京都検定 第10回1級】
【京都検定 第11回1級】