近衛天皇(このえてんのう)は、平安時代末期の第76代天皇
在位中は鳥羽法皇が院政を行い、藤原忠通が摂政関白を務めた
<安楽寿院>
鳥羽離宮東殿の遺構
南陵は近衛天皇の陵(みささぎ)で、多宝塔が建てられている
母親 美福門院の建立、豊臣秀頼により再建される
<神明神社>
源頼政が、近衛天皇を毎夜悩ました鵺(ぬえ)を退治したときに祈願され、使った矢尻(やじり)が奉納されており、
厄除け火除けの神さんと信仰されている
<蓮台野>
現在は、後冷泉天皇・近衛天皇の火葬塚や墓地が点在し、かつての葬送地の面影を残している
<藤原頼長の呪詛>
「台記」1155年(皇紀1815)久寿2年8月27日条によると
近衛天皇は、左大臣 藤原頼長の呪詛により亡くなったといわれる
口寄せによって現れた近衛天皇の霊が「愛宕山の天公像の目に釘が打たれ、そのため眼病を患い、遂に死にいたった」と述べられた
調査すると、愛宕山の天公像の目に釘が打ちつけられていたといわれる