近衛天皇(このえてんのう)

近衛天皇:平安時代末期の第76代天皇

生年:1139年(皇紀1799)保延5年5月18日
即位:1141年(皇紀1801)永治元年12月7日
譲位:1155年(皇紀1815)久寿2年7月23日
崩御:1155年(皇紀1815)久寿2年7月23日
宝算:17

諱:躰仁(なりひと)

父親:第74代 鳥羽天皇
第九皇子
母親:皇后 藤原得子(美福門院

先代:崇徳天皇(異母兄)
次代:後白河天皇(異母兄)

皇后:藤原多子(右大臣 藤原公能の娘)
中宮:藤原呈子(太政大臣 藤原伊通の娘)(美福門院の養女)
皇妃:橘某、藤原某、紀某、他

陵墓:安楽寿院南陵

 近衛天皇(このえてんのう)は、平安時代末期の第76代天皇

 在位中は鳥羽法皇が院政を行い、藤原忠通が摂政関白を務めた

【近衛天皇の歴史・経緯】

【近衛天皇ゆかりの地】

 <安楽寿院
 鳥羽離宮東殿の遺構
 南陵は近衛天皇の陵(みささぎ)で、多宝塔が建てられている
 母親 美福門院の建立、豊臣秀頼により再建される

 <神明神社
 源頼政が、近衛天皇を毎夜悩ました鵺(ぬえ)を退治したときに祈願され、使った矢尻(やじり)が奉納されており、
厄除け火除けの神さんと信仰されている


 <蓮台野
 現在は、後冷泉天皇・近衛天皇の火葬塚や墓地が点在し、かつての葬送地の面影を残している

【その他】

 <藤原頼長の呪詛>
 「台記」1155年(皇紀1815)久寿2年8月27日条によると
 近衛天皇は、左大臣 藤原頼長の呪詛により亡くなったといわれる
 口寄せによって現れた近衛天皇の霊が「愛宕山の天公像の目に釘が打たれ、そのため眼病を患い、遂に死にいたった」と述べられた
 調査すると、愛宕山の天公像の目に釘が打ちつけられていたといわれる


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