二条天皇(にじょうてんのう)(Nijyou Tennou)

平安時代末期の第78代天皇

生年:1143年(皇紀1803)康治2年6月18日
崩御:1165年(皇紀1825)永万元年7月28日
宝算:23

父親:第77代後白河天皇
第一皇子
母親:贈皇太后懿子(いし)(大炊御門経実の娘)(源有仁の養女)

諱:守仁(もりひと)

即位:1158年(皇紀1818)保元3年8月11日

退位:1165年(皇紀1825)永万元年6月25日

元号:保元・平治・永暦・応保・長寛・永万

皇居:内裏里内裏:押小路東洞院第(二条院里第)

先代:後白河天皇
次代:六条天皇

陵墓:二条天皇香隆寺陵

 二条天皇(にじょうてんのう)は、平安時代末期の第代78天皇

 美福門院に育てられ、後白河上皇院政派と対立する

【二条天皇の歴史・経緯】

【二条天皇】

 愚昧とされた父親 後白河天皇とは対照的に、「末の世の賢王におはします」と賞賛された

 母親は、出産直後に急死したため、祖父である鳥羽法皇の皇后 美福門院に養育され、父親 後白河天皇とは疎遠だった

 美福門院の強い要望で、後白河天皇からの譲位を受け即位する
 表面的には「院・内申シ合ツツ同ジ御心ニテ」との二頭政治が行われるが、親政を行おうとして、後白河院政派とは対立する


 <二条天皇親政派>
 藤原伊通(美福門院の従兄弟)
 大炊御門経宗(二条天皇生母 大炊御門懿子の弟)
 葉室惟方(二条天皇乳母 俊子の子)
 公卿 三条公教

 中立だった平清盛を、平治の乱では三条公教が味方につける

 武士 源頼政も、平治の乱から仕える

 <和歌
 争乱によって衰微していた歌壇を復興  1159年(皇紀1819)保元4年
 内裏歌会を再開させる

 歌壇では六条藤家の藤原清輔を重用した

 「続詞花和歌集」を編纂させる

【二条天皇ゆかりの地】

 <御陵>
 二条天皇香隆寺陵
 二条天皇は、香隆寺の東北の野で火葬にされた
 遺骨は、一時的に、香隆寺本堂に納められた

 現在の等持院の北にあった
 堀河天皇後朱雀天皇の火葬も行われ、白河天皇なども遺骨が仮安置された
 付近一帯は、皇室の荼毘所になっていた

【その他】

 <賀茂斎院
 皇女の1人が斎王になっている
 32代 1169年〜1171年 第一皇女 善子内親王

 <鵺退治の伝説源頼政  応保年間(1161年〜1162年)
 二条天皇をおびえさせた怪鳥を退治したといわれる

[インデックス]


京都通メンバページ

写真:表示/非表示

フェイスブックでシェア LINEで送る

[目次]


[関連項目]


[協賛リンク]



[凡例]

赤字
 京都検定の出題事項
 (過去問は下段に掲載)

ピンク
 京都検定に出題された
項目へのリンク

青色紫色
 関連項目へのリンク