後亀山天皇(ごかめやまてんのう) 京都通メンバ
南北朝時代の第99代天皇
南朝第4代天皇

生年:1350年(皇紀2010)正平5年/観応元年
崩御:1424年(皇紀2084)応永31年4月12日
宝算:75

父親:第97代 後村上天皇
第2皇子 母親:二品典侍 藤原勝子(後の嘉喜門院)

諱:熙成(ひろなり)
別称:大覚寺殿、大覚寺法皇、小倉法皇
法名:金剛心

立太子:不詳
即位:1383年(皇紀2043)弘和3年/永徳3年冬
退位:1392年(皇紀2052)元中9年/明徳3年閏10月5日

元号:弘和、元中

皇居:栄山寺(奈良県五條市)

先代:異母兄 長慶天皇
次代:北朝第6代天皇 後小松天皇

後宮:日野西資子
第一皇子:實仁親王(称光天皇)

陵墓:嵯峨小倉陵

 後亀山天皇(ごかめやまてんのう)は、南北朝時代の第99代天皇、南朝第4代天皇

 北朝を擁護する将軍 足利義満が提示した講和条件を受諾して、三種の神器を北朝の後小松天皇に渡し、南北朝合一を実現した

 明治時代、南朝が正統とされたため、歴代天皇に加わることになる
 現在の皇室は、北朝の持明院統 後深草天皇の皇統で、万世一系の皇統が維持されている

【後亀山天皇の歴史・経緯】



【後亀山天皇】

 北朝を擁護する将軍足利義満が提示した講和条件を受諾して、三種の神器を北朝の後小松天皇に渡し、南北朝合一を実現した

 後年、後亀山天皇は、自らの運命をひとえに天道神慮に任せ、民間の憂いを除くためだったと述べている


 <後亀山天皇側の講和条件>
 ・南朝の正統性を認める
  三種の神器を南朝から北朝に帰座するときには、後亀山天皇から後小松天皇に譲位の儀式をもって行う

 ・皇位の両統迭立
  北朝の持明院統 後深草天皇の皇統、南朝の大覚寺統 亀山天皇の皇統から交互に皇位に就く

 ・諸国の国衙領(こくがりょう)は、全て大覚寺統が管領する

 ・諸国の長講堂領は、全て持統院統が管領する


 <和歌>
 「いかがせむしぐれて渡る冬の日のみじかき心くもりやすきを(後亀山院千首和歌)

【後亀山天皇ゆかりの地】

 <嵯峨小倉陵(さがおぐらのみささぎ)>
 陵形:五輪塔

 小倉山東麓にある
 後亀山上皇が出家して「金剛心」と号し、一時期、隠遁生活をされたところで「小倉殿」と称された
 大覚寺に戻られ、大覚寺で崩御された後、陵が造営され葬られた


 <大覚寺
 三種の神器が、北朝の後小松天皇に引き継がれ南北朝合一が行われた
 後亀山上皇は、大覚寺を仙洞として「大覚寺殿」と称される
 一時、吉野に隠遁された後、大覚寺に戻られ、大覚寺で崩御される


 <天龍寺
 南北朝合一後に、初めて足利義満と面会されたところ


【京都検定 第25回1級】


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