後西天皇(ごさいてんのう)は、江戸時代初期の第111代天皇
もっぱら学問に打ち込み、和歌の才能もあり、古典への理解も深かったといわれる
<著作>
「水日集」など多数を残している
<「年中行事」2冊>
京都御所東山御文庫に所蔵されている
藤原行成の有職故実書「新撰年中行事」の写本
<在位中の元号>
承応・明暦・万治・寛文
<高松宮>
初代 好仁親王の娘 明子女王を妻として、高松宮第二代を継承して「花町宮(はなまちのみや)(花町殿)」と号した
3代:第二皇子 幸仁親王
<八条宮(桂宮)>
4代:第一皇子 長仁親王
5代:第八皇子 尚仁親王
<従弟>
仙台藩主3代 伊達綱宗
<天変地異>
伊勢神宮・大坂城・内裏などが炎上
江戸の明歴の大火
地方の地震、水害など
天変地異が多発し、後西天皇の不徳のためと責められ、幕府や後水尾上皇からも譲位を求められたといわれる
<京都御苑>
凝華洞跡(ぎょうかどうあと)
後西天皇の退位の後の仙洞御所があったところといわれる
<北野天満宮>
中門(重要文化財)の扁額「天満宮」は、後西天皇の宸筆
<秋葉神社>
勅額「正一位秋葉大権現」は、後西天皇の宸筆
<毘沙門堂>
後西天皇の第六皇子 第三世 一品公辨法親王(こうべんほうしんおう)が入寺して以来、門跡寺院となる
宸殿・勅使門は、御所にあった後西天皇の旧殿を移築したもの
霊殿は、御所の御霊屋を後西天皇より拝領したもの
毘沙門堂の境内入口にある小さな石橋「極楽橋」は、
後西天皇が行幸されたとき、「橋より上はさながら極楽浄土のような清浄華麗な霊域である」と感嘆され、命名された
<峰定寺>
聖護院宮の道祐法親王(どうゆうほうしんのう)が、後西天皇の勅願を受けて復興する
<曇華院>
後西天皇の第九皇女 大成聖安尼が入寺され、堂宇(殿堂)などが復興される
貝合せ・貝桶などは、後西天皇より拝領したもの
<福勝寺>
後陽成天皇・後西天皇の勅願寺となり、
後西天皇が、聖観音菩薩により祈願成就され、左近桜を下賜され、「桜寺」とも称されるようになる(出水の七不思議の一つ)
<霊鑑寺>
後西天皇皇女 普賢院宮宗栄のときに、後西天皇の院御所御殿の休憩所が書院・玄関・居間として下賜される移築される
後奈良天皇・正親町天皇・後水尾天皇・後西天皇の宸翰(しんかん)がある
<泉涌寺>
霊明殿(れいめいでん)の正面には、後西天皇の勅額「霊明」が掲げられている
<善行院>
妙見菩薩立像は、後西天皇が篤く信仰されたもので、国家の安泰を祈願されていた「日本唯一天拝の妙見菩薩」といわれる
<陵(みささぎ)>
泉涌寺にある月輪陵(つきのわのみささぎ)
形式は石造九重塔