花山天皇(かざんてんのう)は、平安時代中期の第65代天皇
退位後の御在所にちなんで「花山院」と称された
<西国三十三所観音霊場>
出家し法皇となった後、
摂津国 中山寺(兵庫県宝塚市)で、奈良時代初期に、徳道が観音霊場三十三ヶ所の宝印を石棺に納めたという宝印を
探し出し、紀伊国熊野から宝印の三十三の観音霊場を巡礼し修行に勤め、大きな法力を身につけたといわれる
この観音巡礼が、西国三十三所観音霊場巡礼として現在でも継承されている
花山法皇が各霊場で詠んだ御製の和歌が、御詠歌となっている
この巡礼の後、晩年に帰京するまでの十数年間
巡礼中に気に入ったといわれる摂津国の東光山(兵庫県三田市)で隠棲生活を送っていたといわれる
この地には御廟所があり、花山院菩提寺とし西国三十三所観音霊場の番外霊場となっている
<「拾遺和歌集(しゅういわかしゅう)」>
第3番目の勅撰和歌集で、「三代集」の最後にあたる
花山法皇の親撰か、花山法皇が藤原長能、源道済に撰進させたといわれいる
<元慶寺>
19歳のとき、藤原兼家・藤原道兼父子の策略により、宮中を出て元慶寺で出家させられ剃髪して仏門に入る
藤原兼家の外孫である懐仁親王が即位し一条天皇となった
<市比賣神社>
衆霊殿(しゅうれいでん)には、花山天皇が祀られている
2体の御神像は、花山天皇の勅作といわれる
<平野神社>
花山天皇によって境内に数千本の桜が植えられ、臨時勅祭が開かれ、現在の平野桜祭の由来となった
<十輪寺>
禅衣観音菩薩(おいずるかんのんぼさつ)は、花山法皇が、西国三十三所観音霊場を巡礼したときに背負っていた自作の観音菩薩といわれる
花山法皇の手形が浮き彫りになっている木片「花山法皇御手判」もある
<金光寺>
定朝の作といわれる引接阿弥陀如来は、空也上人が、花山天皇の念持仏を賜ったものいわれる
<三室戸寺>
光仁天皇・花山天皇・白河天皇の三天皇の離宮になったことで「三室戸寺」と名付けられたといわれる
<花山神社>
花山天皇が篤く崇敬されたことから「花山神社」と称されるようになった
<御陵>
紙屋川上陵(かみやかわのほとりのみささぎ)
京都市北区衣笠北高橋町
形式:方丘
青蓮院前の神宮道など、各地に「花山天皇陵参道」の石碑が立っている