慶光天皇(きょうこうてんのう)は、江戸時代中期の皇族
光格天皇の実父の閑院宮典仁親王(かんいんのみや すけひとしんのう)で、明治天皇より尊号が追謚された
世襲親王家の閑院宮第2代当主
<閑院宮典仁親王(かんいんのみや すけひとしんのう)>
世襲親王家の閑院宮第2代当主
明治天皇の高祖父、かつ現在の皇室の祖にあたるということで「慶光天皇」の諡号と「太上天皇」の尊号が贈られた
和歌の名手で、日野資矩などの公卿に指導した
能書家でもある
<御陵>
廬山寺陵(ろざんじのみささぎ)
廬山寺の境内の東にある
「慶光天皇」の諡号と「太上天皇」の尊号が贈られたことで「御陵」と称される
<尊号一件(尊号事件)>
光格天皇が、父親 典仁親王よりも地位が上になったことと
父親 典仁親王が、臣下の摂関家を目上としなければならないことに不満を持ち、太上天皇の尊号を贈ろうと
群議を開き、参議以上40名のうち35名の賛意を得て尊号宣下を強行しようとした
老中 松平定信は皇位についていない者に皇号を贈ることに反対
公家 中山愛親・武家伝奏 正親町公明、勤皇家の高山彦九郎が処罰を受け
典仁親王に1,000石の加増をする等の待遇改善策が行われ収束した
<皇位につかずして太上天皇の尊号をうけた例>
後堀河天皇の父親 守貞親王(後高倉院)
後花園天皇の父親 貞成親王(後崇光院)
<没後に尊号を追贈された例>
後陽成天皇の父親 誠仁親王(陽光院)
光格天皇の父親 典仁親王(慶光天皇)