慶光天皇(きょうこうてんのう)(Kyoukou Tennou)

江戸時代中期の皇族

生年:1733年(皇紀2393)享保18年2月17日
崩御:1794年(皇紀2454)寛政6年7月6日
宝算:62

父親:閑院宮直仁親王(かんいんのみやなおひと)(東山天皇の第六皇子)
第三王子
母親:伊藤讃岐(伊藤一中の娘)

幼名:寿宮(ひさのみや)
典仁(すけひと) 別称:慶光院
諡号:慶光天皇

王子:光格天皇

陵墓:廬山寺陵(ろざんじのみささぎ)

 慶光天皇(きょうこうてんのう)は、江戸時代中期の皇族

 光格天皇の実父の閑院宮典仁親王(かんいんのみや すけひとしんのう)で、明治天皇より尊号が追謚された

 世襲親王家の閑院宮第2代当主

【慶光天皇の歴史・経緯】

【慶光天皇】

 <閑院宮典仁親王(かんいんのみや すけひとしんのう)>
 世襲親王家の閑院宮第2代当主
 明治天皇の高祖父、かつ現在の皇室の祖にあたるということで「慶光天皇」の諡号と「太上天皇」の尊号が贈られた

 和歌の名手で、日野資矩などの公卿に指導した

 能書家でもある

【慶光天皇ゆかりの地】

 <御陵>
 廬山寺陵(ろざんじのみささぎ)
 廬山寺の境内の東にある
 「慶光天皇」の諡号と「太上天皇」の尊号が贈られたことで「御陵」と称される

【その他】

 <尊号一件(尊号事件)>  光格天皇が、父親 典仁親王よりも地位が上になったことと
 父親 典仁親王が、臣下の摂関家を目上としなければならないことに不満を持ち、太上天皇の尊号を贈ろうと
 群議を開き、参議以上40名のうち35名の賛意を得て尊号宣下を強行しようとした

 老中 松平定信は皇位についていない者に皇号を贈ることに反対

 公家 中山愛親・武家伝奏 正親町公明、勤皇家の高山彦九郎が処罰を受け
 典仁親王に1,000石の加増をする等の待遇改善策が行われ収束した


 <皇位につかずして太上天皇の尊号をうけた例>
  後堀河天皇の父親 守貞親王(後高倉院)
  後花園天皇の父親 貞成親王(後崇光院)

 <没後に尊号を追贈された例>
  後陽成天皇の父親 誠仁親王(陽光院)
  光格天皇の父親 典仁親王(慶光天皇)


【京都検定 第16回1級】

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