後光厳天皇(ごこうごんてんのう)は、南北朝時代の北朝第4代天皇
南北朝の争いの中で、室町幕府に擁されて、15歳の弥仁王が、親王宣下も三種の神器がないまま即位する
南朝軍が京都を奪還しようと襲撃してくるたびに、足利義詮に奉じられて、美濃や近江などに難を避けていた
<歌道>
和歌に優れ、勅撰集には45首収められている
父親 光厳天皇や同母兄の崇光上皇は、京極為兼・伏見天皇の持明院統の歌風(京極風)を保持してきたが、
後光厳天皇は、尊円親王の進言により、二条家の歌風を受け入れ、以降、二条派が優位になっていく
「新千載和歌集」
1356年(皇紀2016)正平11年/延文元年6月11日
将軍 足利尊氏の執奏により、二条為定を撰者として勅撰集撰進の綸旨を下し、
1359年(皇紀2019)正平14年/延文4年にが完成する
「新拾遺集」
1363年(皇紀2023)正平18年/貞治2年2月29日
将軍 足利義詮の執奏により、二条為明に撰進を命じる
1369年(皇紀2029)正平24年/応安2年
内裏和歌を開催する
歌集「後光厳院百首和歌」
<日記「後光厳院御記」>
<后妃・皇子女>
典侍:藤原仲子(崇賢門院)(善法寺通清の娘)(広橋兼綱の養女)
第二皇子:緒仁親王(後円融天皇)
第五皇子:永助法親王(煕永親王)(仁和寺御室)
第六皇子:尭仁法親王(第142・149代天台座主)
第十二皇子:尭性法親王(妙法院)
宮人:藤原氏(右衛門佐局)
第一皇子:亮仁法親王(尊貞親王)(妙法院)
第三皇子:行助法親王(煕平親王)(円満院)
皇子
第七皇子:覚増法親王(聖護院)
宮人:藤原氏(左京大夫局・伯耆局(法印長快の娘)(正親町三条実継の養女)
第一皇女:治子内親王(准三后)
第四皇子:覚叡法親王
第八皇子:道円法親王(久尊親王)(青蓮院・141代天台座主)
第十一皇子:聖助法親王(本覚院)
宮人:橘繁子(少納言内侍(橘以繁の娘)
第十皇子:明承法親王(梶井門主・143代天台座主)
母不詳
第九皇子:寛守法親王(上乗院)
第十三皇子:寛教法親王(大覚寺)
第二皇女:見子内親王(三時知恩寺開基)
第十四皇子:皇子(龍頭菴主)
秀仁女王(景愛寺長老)
<御陵>
深草北陵(ふかくさきたのみささぎ)(伏見区深草坊町)
公式形式は方形堂
深草北陵には持明院統歴代が葬られており、「深草十二帝陵」とも称される
<大覚寺>
心経殿(勅封心経殿)に、嵯峨天皇・後光厳天皇・後花園天皇・後奈天皇良・正親町天皇・光格天皇の
勅封心経が奉安され、薬師如来立像が安置されている
<宝鏡寺>
景愛寺 第六世 華林宮 恵厳禅尼(光厳天皇の皇女)が、御所に祀られていた聖観世音菩薩像を、
後光厳天皇から賜り、景愛寺の塔頭 福尼寺の本尊として改めて開山する
その聖観世音菩薩像は、伊勢の二見浦で漁網にかかったものといわれ、
手に円鏡を持っていたことから、後光厳天皇より「宝鏡寺」の号を賜わる
<地蔵院>
光厳天皇、光明天皇、崇光天皇、後光厳天皇、後円融天皇の5天皇の勅願寺に準ぜられた
<金戒光明寺>
第8世運空が、後光厳天皇に戒を授けて、後光厳天皇から「金戒」の文字を賜り、現在の「紫雲山 金戒光明寺」と称する
<妙覚寺>
祖師堂に祀られている三菩薩は、後光厳天皇により、日蓮には「大菩薩」、日朗と日像上人には「菩薩」の号が与えられたもの
<妙顕寺>
北朝の後光厳天皇の綸旨を受け、門流分立する法華宗の中でも妙顕寺が第一位であることを認められる
<西園寺>
後光厳天皇が立ち寄られたことがある
<雲龍院>
後光厳天皇により建立され、三代にわたり菩薩寺となる
後円融天皇が妙法写経を発願され、写経道場として受け継がれ、現在も誰でも写経体験ができる
皇族の位牌堂「霊明殿」には、内陣の中央に、北朝の後光厳天皇、後円融天皇、後小松天皇、称光天皇の尊牌
左側には、後水尾天皇から孝明天皇までの歴代天皇の尊牌
右側には、東福門院、普明照院など江戸時代の皇子・皇女の尊牌が奉安されている