天智天皇(てんちてんのう)は、奈良時代の第38代天皇
山科の「御陵(みささぎ)」の地名は、天智天皇山科陵にちなんで名付けられた
<万葉歌人>
万葉集に4首の歌がある
中大兄皇子の三山(みやま)の長歌一首
「香具山(かぐやま)は 畝傍(うねび)ををしと 耳梨(みみなし)と 相争(あひあらそ)ひき 神世(かみよ)より
かくにあるらし 古昔(いにしへ)も 然(しか)にあれこそ 現身(うつせみ)も 嬬(つま)を 争ふらしき」
巻一(第十三)
反歌二首
「香具山と耳梨山(みみなしやま)とあひし時立ちて見に来し印南国原(いなみくにはら)」
巻一(第十四)
「綿津見の豊旗雲(とよはたぐも)に入日さし今宵(こよい)の月夜(つくよ)さやけくありこそ」
巻一(第十五)
天皇の鏡女王に賜へる歌一首
「妹があたり継ぎても見むに大和なる大島の嶺(ね)に家居(いえを)らましを」
巻二(第九十一)
<百人一首>
百人一首の巻頭を飾る最初の和歌 (二首目は、天智天皇の子 持統天皇の歌)
「秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」
<天智天皇山科御陵>
「延喜式」には、
天智天皇陵は、「兆域東西十四町南北十四町」と記されており、約1500m四方あったといわれる
「聖蹟図志(せいせきずし)」(1854年(皇紀2514)安政元年)には、
天智天皇陵と参道、東海道が描かれ、「竜徳山妙応寺」と「天皇昇天鏡ヶ池古跡」などが描かれている
天智天皇山科御陵があることが地名「御陵(みささぎ)」の由来となっている
<誓願寺>
天智天皇が夢告により、恵隠僧都(えおんそうず)が、奈良の地に三論宗として開創し七堂伽藍を創建し、
仏師 賢問子・芥子国父子に丈六の阿弥陀如来坐像を造らせ祀り、「誓願寺」と名付けたのが由来
<松明殿稲荷神社>
天智天皇と第一皇子 大友皇子の木像が安置されている
<日向大神宮>
天智天皇により、神田が寄進され、鎮座の山を「日御山(ひのみやま)」と名付けされる
<泉涌寺>
霊明殿(れいめいでん)に、天智天皇と光仁天皇からの歴代天皇皇后の尊牌(位牌)が奉祀されている
<「天智天皇」>
代々の天皇の漢風諡号と同様に、奈良時代に淡海三船によって撰進され、「殷最後の王である紂王の愛した天智玉」から
名付けられたといわれる
<中大兄皇子(なかのおおえのおうじ>
「大兄」とは、同母兄弟の中の長男に与えられた皇位継承資格を示す称号
「中大兄」は「二番目の大兄」を意味する