明治5年11月15日(1872年12月15日)の太政官布告第342号により定められ、
明治6年1月1日の太陽暦採用と同時に施行される
明治から戦前までは和暦とともに皇紀がよく使用されており、
第二次世界大戦後に、西暦が使用されるようになる
現在でも法令などで、和暦と西暦とともに皇紀が使用されている場合があり、
例えば、閏年は、西暦ではなく皇紀を元に決められている(明治31年5月10日勅令第90号)
<辛酉革命>
中国の陰陽五行説に基づき
「天道不遠 三五而反 六甲爲一元 四六二六交相乗 七元有三變 三七相乗 廿一元爲一蔀 合千三百廿年」から
辛酉の年(しんゆうのとし)は、革命が行われる年とされ、
1260年に一度の辛酉の年には、王朝交代など国家的な大革命が起こるといわれる
1元(げん)は、干支が一巡する60年
1蔀(ぼう)は、21元で、1260年(60年×21元)
<皇紀元年の設定(神武の即位の年)>
「日本書紀」に、神武天皇が即位したのは辛酉の年と記されている
「辛酉年春正月庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮是歳爲天皇元年」
聖徳太子が、辛酉革命の思想にもとづき、
推古天皇が斑鳩の地に都を置いた601年(皇紀1261)推古天皇9年の辛酉の年を起点として
1260年遡った紀元前660年(辛酉の年)を神武天皇が即位され大革命が起こった年と設定したとされる